ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

求婚

 一行は、クラウディアの母国であるアルファーロ王国をまっすぐに進んでいた。
「お尻が痛い……」
 長時間馬車に揺られていたクルトが、唇を尖らせぽつりとぼやく。
 それを受けて、クラウディアは小さく笑った。
 確かに言われてみれば、クラウディアも若干尻が痛い。
 基本的にクルトは我慢が苦手だ。だから思ったことをすぐに素直に口に出してしまう。
 けれどただ無意識のうちに我慢をしてしまうクラウディアにとって、彼の言葉には気付きがある。そう、自らの尻の痛みとか。
「それでは一度休憩しましょうか」
 なんせ、全くもって急ぐ旅ではない。それどころか目的地もない。
 無理をせずに休み休みゆっくりと、この大陸を回れればいいのだ。
「リベリオ。この近くに休めるような場所はあるかしら?」
 馬車の窓から頭を出し、クラウディアは馬に乗っているリベリオに声を掛ける。
 するとリベリオは馬首をこちらへ寄せ、近くを並行してくれた。
 未だ幼いながらも貴族出身であるからか、彼の騎乗姿はなかなか様になっている。
 そんなリベリオの姿に、やはり喪くした弟を思い出し、クラウディアは目を細める。
 これまではただ悲しみだけを抱えていたが、求めていた復讐が成った今、ようやく家族のことを、懐かしく思えるようになった。
 きっと人はそうやって、癒えない傷と折り合いをつけながら生きていくのだろう。
「あと一刻ほどこの街道を行けば、大きめの街があるようです」
「どうやらクルト様が限界のようなの」
 ──主に彼のお尻が。
 するとリベリオが笑って「では次の街で一泊しましょうか」と言ってくれる。
 それを聞いたクルトが目を輝かせた。尻の痛みだけではなく、退屈でもあったのだろう。
 目に映るもの全てが新鮮だからか、クルトは毎日楽しそうだ。
 そんな彼が嬉しくて、クラウディアは微笑む。
 やがてたどり着いた街は街道沿いにあり交易が盛んで、思った以上に大きく活気のある街だった。
 クルトが馬車の窓から顔を出し、楽しそうに周囲を見渡す。
 すると、彼の姿を見た道行く人々が、その顔に見惚れ立ち尽くす。
 なにやら拝んでいる人もいる。クラウディアは然もありなんと頷く。
(わかるわ。そうなるわよね……)
 クラウディアも初めてクルトを見た時は、茫然自失して拝みそうになってしまったものだ。
 なんせ彼は自分と同じ人間とは思えぬ美しさなのだ。
 しかも今は質素な貫頭衣ではなく、小綺麗な服を着ている。美しさ増し増しである。
 まあ、それでもクラウディアは見慣れてしまったのだが。
(慣れって恐ろしいわ……)
 人間とは、贅沢にはすぐに慣れる罪深い生き物である。
 宿を探しながら道行けば、どこからか高らかな鐘の音が聞こえてきた。祝福の鐘だ。
「なんでこの時間に鐘が鳴るんだい?」
 クルトが首を傾げる。どうやら彼にとって鐘とは時間を告げるもの、という認識らしい。
「どこかで婚礼を挙げているのでしょう」
「ああ、恋愛小説にあったやつだ」
 新たに夫婦となった者たちへの祝福は、神の大事な仕事の一つのような気がするのだが。
 神の子たるクルトがそんな認識でいいのだろうか。知識の偏りが心配である。
「見に行きたい」
 そして、クルトの悪癖が出た。
 大神殿を出てからというもの、クルトの好奇心は止まるところを知らない。
 だがクラウディアの望みはまさに、クルトにこの世界を見せることだ。
 新たな夫婦も、神の子たるクルトに祝福をされるのは良いことかもしれない。
「リベリオ……」
 クラウディアが困ったように外へ声をかければ、「わかりました」と、勝手知ったるリベリオが笑って鐘の鳴り響く元へと向かってくれた。
 街のはずれにあるその神殿は古く、大きく、そして壮麗な建物だった。
 周囲はよく手入れをされた、美しい庭園に囲まれている。
 おそらくこの街の人々の心の拠り所であり、長く愛された神殿なのだろう。
 ちょうど新郎新婦が神殿から出てきて、参列客から祝福を受けているところだった。
 花弁舞う中で、婚礼衣装を身に纏い、幸せそうに笑う二人。
 王侯貴族とは違い、庶民は恋愛をして結婚をすることが多いのだという。
 彼らもまた、想い合ってこの場に立っているのだろう。
 クルトは馬車の窓から、それを食い入るように見ている。
「クルト様……」
 心配になってクラウディアが声をかければ、クルトがガバッと勢いよく彼女の方を向く。
「クラウディア! 私もあれをやりたい!」
 クラウディアの目が点になった。いったい彼は何を言っているのだろう。
「そうだ! 婚礼をしよう! クラウディア!」
 まるで幼い子供が、大人の真似をしたがるような、そんな様相であった。
 それではただ婚礼をしたいのか、それともクラウディアと夫婦になりたいのか、どちらか全くわからない。
 前者ならごめん被りたい。後者なら……嬉しいかもしれない。
 クラウディアとて、色々とあって擦れてしまったものの、若い娘である。
 花嫁に憧れる気持ちは、なくもないのだ。
「……リベリオ」
 クラウディアが苦し紛れに外に声をかければ。
「こ、困りましたね……」
 さすがのリベリオも視線を逸らしながら、にがり切った声を漏らした。
 するとそんな二人を見たクルトが、明らかにいじけた顔をする。
「クラウディアは私と結婚したくはないのか?」
 したいかしたくないかと問われれば、よくわからないとしか言いようがない。
 だがクラウディアは、クルトに自分の人生を捧げる覚悟を決めている。
 それにわかりやすい役名を与えるならば、確かに「妻」はしっくりくるかもしれない。
 だが、それにしてもこの求婚はひどいのではなかろうか。
「してみたいから」だなんて、そんな安易な気持ちで求婚されて悲しく思うのは、クラウディアの我儘だろうか。
「……」
 クラウディアが言うべき言葉が思い浮かばず黙っていると、さらにクルトは不貞腐れ、それ以後口をきこうとはしなかった。
 その日はそのまま宿に行き、休んだ。
 だがいつもならクラウディアを抱きしめながら眠るはずのクルトが、全く彼女に触れようとせず、それどころか今日は部屋を別にしたいなどと言い出し、出ていってしまった。
 クラウディアは部屋に残され愕然とした。
 まさか、そんなにクルトを傷つけてしまったとは思わなかったのだ。
(……クルト様に、一般的な感覚を求めたこと自体が間違いだったんだわ)
 言わなくてはわからないことを、察してもらおうとした。自分の傲慢さを悔やむ。
 世間一般的な感覚すら疎い彼に、女心の機微などわかるわけがないのに。
 後悔と罪悪感に苛まれ、あまり眠れないまま夜を過ごし、朝を迎え。
 せめて綺麗な姿でいようと身支度をして部屋の外に出れば、そこにクルトが待っていた。
「クルト様? どうなさったの?」
 春とはいえ、朝はまだ寒い。慌てて駆け寄ってその頬に触れればやはり冷えていた。
「クラウディア。一緒に行きたい場所があるんだ」
 昨日とは一転、真面目な顔で手を差し伸べてくるクルトに、クラウディアは目を見開く。
 この一晩で、一体何があったのだろうか。
 恐る恐る彼の手に自らの手を重ねれば、ぎゅっと握り締められ引き寄せられる。
 そして二人で宿を出ると、リベリオが御者をしている馬車がすでに用意されていた。
 その馬車に押し込まれ、連れて行かれたのは花の咲き乱れる丘だった。
 そこから街の教会が見える。どうやら今日も婚礼が行われているらしい。
 確かにこんな大きな街ならば、毎日誰かしら結婚するのかもしれない。
 美しいその光景に、クラウディアは目を細めた。
 するとクルトがクラウディアの前に跪き、彼女の手をとった。
 一際強い風が吹いて、色とりどりの花びらが二人の周りに舞い上がる。
 まるで夢の中のような光景の中、クルトがその唇を開く。

「───クラウディア。愛してる。どうか、生涯私の側にいてくれないか」

 緊張しているのか、クルトの声と手が、わずかに震えていた。
 神の子たるクルトも緊張をすることがあるのだと、クラウディアは驚き。
 そしてそれは自分に愛を乞うためなのだと思い至り、クラウディアの目から涙が溢れた。
 その涙を見たクルトが、慌ててクラウディアの目元に指を伸ばして拭う。
「く、クラウディア……? その涙は悲しいからではないよね……?」
「……もちろん。前に教えたでしょう? 人は嬉しい時も泣くんだって」
 クラウディアは跪くクルトに抱きつくと、「私も愛しています」とその耳元で囁いた。
「……一生あなたの側にいさせて」
 するとクルトもクラウディアを強く抱きしめて、その美しい銀色の目を潤ませた。

 どうやらあの後、相談しようとリベリオの部屋に突撃したクルトは、彼に説教を受けたらしい。
『求婚は人生の一大事ですよ! そんな気軽に適当に口にするものじゃないんです!』
 さらに結婚に対する女性の憧れについても、懇々と説明され、クルトも反省したらしい。
 そして宿の者にこの丘で求婚すると幸せになれるという街の験担ぎを聞いて、二人でこっそりこの計画を立てたらしい。 
 知らぬ間に随分と仲良くなったものだと、クラウディアは笑う。
「申し訳ございません。もしお二方がご婚礼されるならば、絶対に大神殿で教皇猊下自らがおやりになりたいとのことでしたので」
 さらにリベリオは、教皇から密かにそんな命令を受けていたらしい。
 なんなら既に二人の婚礼衣装も、教団は秘密裏に用意しているらしい。
 どうやら神の名の下に正式に結婚をするには、一度エラルト神国に戻らねばならないようだ。
 なんとか少しでもクルトに帰省をさせたいという、教団の魂胆を感じる。
「私はすぐにでもクラウディアと結婚したいのに……」
 などとクルトは拗ねているが、彼がクラウディアの気持ちを慮り、まるで恋愛小説のように求婚してくれたこと自体が嬉しい。
 人並みの感覚を少しずつ手に入れて、人間になっていく彼が、嬉しい。
 クルトがクラウディアを抱き上げて、幸せそうに笑い、口づけをする。

 ──そう。人間は愚かで、醜くて、無様で。けれどもどうしようもなく愛おしい。

 クラウディアも満面の笑みを浮かべると、クルトの唇に触れるだけの口づけを返した。

一覧へ戻る