ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

プレゼント

「やっと来られた……」
 妙にしみじみとしたエリオットの述懐に、セラフィーナは思わず笑みをこぼした。
 社交期《シーズン》も終わった八月半ば。ふたりは昨年の秋から冬にかけてを過ごした海辺の別荘にふたたび足を運んだ。
 以前は友人のアルヴィンを通しての又借りだったが、セラフィーナがとても館を気に入っていたのでエリオットは館を購入し、結婚記念のプレゼントとして贈ることにした。
 季節的な理由もあってすぐには来られず、陽気がよくなれば今度は王族の務めとして各種社交をこなさねばならなかった。
 ふたりとも社交好きではないので最低限の付き合いに留めたが、それでも舞踏会や晩餐会への招待状、様々な催しへの来訪を請う手紙はひっきりなしに届いた。
 セラフィーナが注目を集めるのには王子と結婚したばかりという目新しさの他にも理由がある。現在、ベルナデット女王を除けば王族女性はセラフィーナただひとりなのだ。
 女王のご来臨を賜るのはおおごとだが、第二王子の妃であれば招く側としてもだいぶ気が楽なのだろう。
 本来、肩の傷痕を目立たせないために考案されたドレスが最先端モードとして人気を得たため、流行の発信源のようにも見做されている。
 セラフィーナの専属ドレスメーカーとして雇われたリオノーラも、今では大通りに店を構える超売れっ子デザイナーだ。
 彼女の店を訪れる貴婦人たちは、ほとんどが妃殿下のまとうドレスに似たものを欲しがるという。否応なく注目の的となって嬉しいというよりとまどいのほうが大きかったが、エリオットが非難されることのないよう懸命に社交に勤しんだ。
  セラフィーナががんばりすぎないよう、エリオットは招待に応じる相手を厳選し、気が進まないなら無理しなくていいと何度も言い聞かせた。
 気遣いは嬉しかったけれど、誘いを断ることはなかなか難しい。新しい生活に早く慣れなければという焦りもある。ようやく一息つけたのは八月に入り、貴族たちがそれぞれの領地に戻り始めてからだった。
 そんな折、去年過ごした海辺の別荘へ行こうとエリオットが言い出した。そのときになって初めて、彼がその別荘を購入し、しかもセラフィーナ名義としていたことを知った。
「……本当に、もらっていいの?」
 別荘の居間で休憩がてらに軽食を摘まみながらセラフィーナは尋ねた。エリオットは紅茶を一口飲んでにっこりした。
「もちろんだよ。きみが好きに使える家を一軒贈りたいと、前々から考えてたんだ。ここは仮住まいのつもりだったけど、気に入ってくれたようだから」
「ええ、とても居心地がいいわ。こぢんまりしてて趣があって、海も眺められるし」
  王国北西部の海岸線は、海から見れば切り立った断崖絶壁に白い波しぶきが打ち寄せる、荒涼とした風景が続いている。
 しかしその断崖の上に立てば、深い蒼にうねる海面が遥か水平線まで広がる様を思う存分眺めることができるのだ。
 一休みすると、ふたりは早速散策に出かけた。
 晩夏の森は、前に来たときとはずいぶん印象が異なっていた。以前の滞在は秋から冬にかけてで、すでに色づき始めていた木々は滞在中にすっかり葉を落としてしまったが、今はまだ緑豊かに生い茂っている。
 森を抜けると崖の突端へ至るゆるやかな斜面はみずみずしい草地になっていた。その先には抜けるような蒼穹と大海原が遮るものなく広がっている。
「綺麗……!」
 ドレスの裾をからげ、足を速めると、エリオットが慌てて手を伸ばした。
「危ない! あまり端まで行っちゃだめだよ」
 セラフィーナは断崖から二メートルほどの距離で足を止めた。
 海風に乗って白い翼をはためかせるカモメが鳴き交わす声を聞きながら深呼吸すると、身体が透明になってゆくような解放感と爽快感に包まれた。
 並び立ったエリオットがしっかりと腰に手を回したので、セラフィーナは笑い声を上げた。
「前とは反対ね」
「前って?」
「去年、ここへ来たときのことよ。あなたがあんまり端に近寄るから、怖くなって叫んだわ。戻ってきて、って」
「ああ、そうか。そうだね」
きまり悪そうにエリオットが苦笑する。しばし二人は黙って水平線を眺めた。
「……あのときわたし、すごく依怙地になってた」
「僕もだよ。何もかもがもどかしくて、焦燥感で絶え間なく内側から胸を引っ掻かれているみたいな気分だった。確証が欲しくてたまらないのに、確実なものは何もない。そんなふうに思えて……」
「まだ、信じきれていなかったのね。お互いに」
「僕は卑怯だった」
「わたしもよ」
「きみを脅して縛りつけようとした。そうでもしないと不安でたまらなかった」
「だったらわたしは縛られて安心していたんだわ。言い訳できたから。離れるべきだけど、そうするとあなたが死んでしまうから、できないんだって……。本当はただ、あなたと一緒にいたかっただけなのにね」
 セラフィーナはエリオットの身体に腕を回してもたれかかった。
「ずっと、あなたと一緒にいたかった。望んだのはそれだけなのに、素直に認められなかった。……ほんとに依怙地よね。自分でも呆れるくらい、頑固だわ」
「そういうところもかわいいよ」
 ふふっと笑ってエリオットはセラフィーナを抱き寄せ、額にキスした。セラフィーナは微笑み、彼の頬をそっと撫でた。
「あのことがなければ、こんなに深く知ることはできなかった。自分のことも、あなたのことも。何事もなくあなたと結ばれていたら……それはそれで、すごく幸せだったとは思うけど。そう、おとぎ話みたいに。だけどそれが今より幸せだったとは、やっぱり思えない」
「今のほうが幸せ?」
「ええ、ずっと」
  確信を込めて頷くと、ぎゅっと抱きしめられた。エリオットはセラフィーナを固く抱擁しながら呟いた。
「もっときみを幸せにしたい。そのために僕はどうすればいい?」
「そのままでいて。結婚式で誓ったように、いつまでもお互いを尊重し、お互いに誠実であれば……それだけでわたしはずっと幸せでいられるから」
「きっとそうする」
  彼はきっぱりと断言した。微塵の揺らぎもない断固たる声音は、セラフィーナに深い満足と信頼をもたらした。海風に吹かれながら唇を重ね、寄り添って水平線の彼方を眺めているとふたたび彼が尋ねた。
「他にはない?」
「え? 何が?」
「きみを幸せにするために、僕ができること。何か今すぐできることはないかな? できるだけ具体的に言ってもらえると助かる。欲しいものとか」
 生真面目な表情に、セラフィーナは苦笑した。
「素敵なお家をもらったばっかりよ?」
「本当はお城をあげたかった」
「あのお家がわたしのお城なの」
 そう言ってもまだエリオットは不満げだ。
「じゃあ、船は?」
「王室所有の帆船に乗せてもらえれば充分よ」
「宝石は?」
「足りてるわ」
「馬は?」
「もう二頭もくれたじゃない」
 呆れて眉を上げると、彼は溜め息をついた。
「きみは無欲だなぁ」
「そんなことないわ。とっても欲張りよ。あなたを独占したくてたまらないんだから」
「僕はすでにきみのものだから、プレゼントにならない」
  またまた真面目くさった口調で言われて考え込む。とあることが思い浮かび、セラフィーナは顔を赤らめた。
「物じゃないけど……」
「何?」
 はっきり口にするのが照れくさくてもじもじしていると、ピンときたようにエリオットがにんまりした。
「なるほど。それじゃ、早速励むとしようか」
「い、今すぐ欲しいってわけじゃ……」
「僕としてはしばらくきみを独占していたいんだけど、きみが欲しがるなら致し方ないね。よし、きみによく似た愛くるしい天使を作ろうじゃないか」
「だ、だから別に今すぐじゃなくても……っ」
 焦るセラフィーナの耳元で、彼は囁いた。
「だめだよ、僕はもうすっかりその気だ。とりあえず夕食前に二回くらいしようか」
 上機嫌なエリオットに手を引かれながら藪蛇を悔いても、もはや後の祭りだった。

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