ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

聖女の結婚

 ヴァイザー領の街クレスロの丘には、のどかな街には不釣り合いなほど、壮麗な教会がある。これは時の皇帝ハヴィランド四世が私財で建てたものだ。長きに渡る戦争で傷つき疲れた身体を癒やすため、かの皇帝はたびたび湯治に訪れていた。大変信心深い人間だったらしく、自分が神に祈る場所を用意したかったのだろう。
 教会の控え室で支度をしていたジークリンデは、窓から見える景色を眺めた。
(曾祖父が建てた教会で結婚式を挙げる。不思議な縁があるものね)
 クレスロの教会は、ジークリンデも気に入っている。見た目は中世の帝国建築がベースになっているが、建物の補強部分は近代建築を取り入れているのだ。新古どちらも重視した建築の有り様は、ジークリンデの好むところである。
「ジークリンデ様、用意できました?」
 ノックのあと、エルフがひょこっと顔を出す。
「はい」
 ジークリンデが振り向くと、エルフが嬉しそうな顔をして「きゃー!」と歓声を上げた。
「すっごく綺麗! 素敵ですよ~!」
「そ、そうですか?」
 褒められると照れてしまう。ジークリンデは頬を赤らめ、俯いた。
 花嫁衣装は皇城で保管していた第一皇妃の花嫁衣装を借りている。ジークリンデにとって母親は悲しい存在だったが、衣装に罪はない。
 派手さはないが、至るところに意匠が凝らされている。肘から手首にかけて何重にも重なったレースが華やかで、ドレスの裾はコーンフラワーブルーの花を形取った刺繍が連なっていた。
 頭にすっぽりと被ったレースのヴェールには至る所に銀糸が使われていて、歩くたびにきらきらと布が光る。
「私、髪の色も白っぽいから、花嫁衣装を着ると全身真っ白だわって思いました」
「まるで白いお花が歩いているみたいですよ。早く行きましょう~!」
 エルフに手を引かれ、ジークリンデは控え室を後にする。
 今日は結婚式。神がふたりの仲を祝福してくれているように、空は雲ひとつない青空が広がっていた。
 教会の外でアルノルトと合流し、しばらくすると教会の扉が厳かに開く。
 赤いバージンロードの先には、夫となるバルドメロが騎士の正装姿で控えていた。
 アルノルトの腕に手をかけ、一歩一歩、ゆっくりと前進する。
 ジークリンデの心は、自分が予想していたよりもずっと落ち着いていた。
 ただ、頭の中では自分がこれまで歩んできた記憶が河のように流れている。
 両親に愛されず、いつかは政略結婚が決まっている。そんな自分は愛と縁のない人間だと思っていた。だから今この場に自分が立っていることが不思議に感じる。
 まさか好きになった人と結ばれる時がくるなんて、と。
 アルノルトが立ち止まったところで、ジークリンデはバルドメロの腕に手をかける。
 一瞬、目が合った。
 ヴェール越しにバルドメロは穏やかな笑みを浮かべていて、ジークリンデも自然と笑顔になる。
 司祭が結婚を言祝ぎ、誓いの言葉を促した。
「聖なる神の御前にて、永久に寄り添い共に支え合うことを誓います」
 静寂に満ちた教会で、バルドメロの低く通る声が響く。
「我が愛を持って、伴侶と共に在ることを誓います」
 バルドメロの後に続く形で、ジークリンデも誓いを立てた。
 そして互いに向き合うと、バルドメロがそっとジークリンデのヴェールを上げる。
 かつてない程、胸がドキドキと高鳴った。
(口づけは初めてじゃないのに……)
 後ろにたくさんの人が見守っているからだろうか。それとも、この口づけが特別だと感じているからだろうか。
 バルドメロを見上げると、彼はまぶしいものを見るように琥珀色の目を細めてジークリンデを見つめていた。幸せを噛みしめているのか、それとも幸せに蕩けているのか、どちらにしても、とても嬉しそうだ。
 バルドメロはゆっくりとジークリンデの肩に手をかけ、優しく口づけた。
 
 ふたりが教会を出ると、コーンフラワーブルーの花吹雪が出迎えた。
 街の子どもたちが、カゴいっぱいの花びらを散らしている。
 おめでとうと祝う声。フンダートやエルフたち騎士団の皆、領民、皆が揃って満面の笑顔だった。
 ジークリンデの心がどんどん温かくなる。
 嬉しくて堪らなくなる。
(ああ……)
 しみじみした喜びを感じて、ジークリンデは目を瞑った。
「どうしたんですか?」
 ジークリンデの表情の変化にいち早く気付いたバルドメロが尋ねる。
「ええ。なんだか夢みたいって思ったの」
 心に刻み込むように、目の前の情景を見つめる。
「私の結婚は、こんなふうに皆に祝われるものではないだろうって、昔から思い込んでいたから」
 皇位継承権のない自分は、結婚による政治利用しか使い道はない。小さいころから、周りの貴族がそう言っていたから、ジークリンデもそうなるのだろうと当たり前に受け入れていた。
「温かくて、祝福されて、みんなが笑顔になっているような結婚式。密かに憧れて……でも夢でしかないと諦めていたことが現実になって、嬉しいけど不思議な気分なの」
「ジークリンデ様……」
 バルドメロがジークリンデの肩を優しく抱き寄せる。
「今日のあなたは、とても綺麗ですよ」
「…………」
 率直な言葉に、ジークリンデは思わず顔を赤らめる。
「もちろん、普段だって綺麗ですが、今日は特別です」
「それは私も同じよ。今日のバルドメロは、普段以上に素敵だわ」
「ありがとうございます。実は俺、教会ではずっとあなたに見蕩れていて、何も考えることができなかったんですよ」
 バルドメロが照れたように笑った。
「さっきジークリンデ様が夢みたいだと仰っていましたが、俺も同じ気分だった。嬉しくて、幸せすぎて、目の前の情景があまりに綺麗だから、もしかして俺は今、本当は死ぬ直前なんじゃないかって思ったくらいです」
「なによそれ」
 ぷっと噴き出してしまった。
「だってジークリンデ様、女神みたいでしたから」
「バルドメロの褒め言葉は大げさね」
「本当のことを言ってるんですよ」
 知っている。バルドメロは決してお世辞を言わない。いや、お世辞を言う必要を感じていない。わかっているからこそ顔が赤くなってしまう。
 ジークリンデとバルドメロが歩き出すと、子ども達が寄って集って花びらを降らせた。
 うっとりするような花の香り。
 拍手するもの。喜びの声を上げるもの。音楽を奏でるもの。
 騎士団と領民が皆揃って祝ってくれている。
 この情景こそ、幸福そのものだとジークリンデは思った。
「さあ、音楽に合わせて。皆手を取り合って!」
 教会から出てきたアルノルトがリズムを取るように手を叩く。
「ヴァイザー領で挙げる結婚式は、身分の差関係なく同じごちそうを食べて、踊ることだ。ほらっ、こんなふうにね」
 アルノルトはエルフの前に立つと、うやうやしく敬礼した。
「こんなおじさんだけど、踊ってくれますか?」
「うふふ、喜んで!」
 エルフは笑顔でアルノルノの手を取り、音楽に合わせて踊り出した。
 ダンスの作法なんて関係ない。リズムに身体を合わせて好きなように舞うだけ。
 アルノルトの様子を見て、騎士団は次々と領民の娘を誘い、次々と踊り出す。
「楽しそう。ねえ、私達も踊りましょう」
 ジークリンデがバルドメロと手を繋ぐと、彼は「はい」と頷いた。
「そうだわ、バルドメロ。ひとつ言っておかないといけないことがあるの」
 歩きながら、ジークリンデはびしっと人差し指を立てた。
「あなたは今日から私の夫なんだから、様付けはしないで欲しいわ。あと敬語も」
「え……」
 バルドメロの表情がたちまち戸惑う。
「え、じゃないわ。ほら、ジークリンデって呼んでみて」
「…………」
 バルドメロはその場で立ち止まり、照れたように俯く。
「ジ、ジークリンデ――」
 そこで言葉を止めると、しばらくして。
「――様」
 思わずジークリンデはがくっとよろけた。
「もうっ!」
「す、すみません。今日中に慣れるようにしますから」
 困った顔で謝るバルドメロに、ジークリンデはくすっと笑った。
(こういう所で器用にできないのがバルドメロなのよね)
 でも、そういうところが愛しい。支え合って、ずっと一緒にいたいと思う。
「バルドメロ、踊りましょう」
「はい。……でも、その前にもう一度」
 軽く手を引っ張られた。ジークリンデはたちまちバルドメロの腕の中に入ってしまう。
「あなたは今日から、俺の妻です。……愛しています」
「ええ。私も、愛しているわ」
 コーンフラワーブルーの青い花びらが舞い、陽気な音楽に皆が踊る中。
 バルドメロは改めて愛を誓うように、ジークリンデの唇に口づけた。

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