ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

ケダモノ御曹司の幸せな新婚生活

 煌哉と冴月が結婚してから約二週間が経過したある日のこと。年末年始の慌ただしい空気がようやく落ち着いた頃に、狛居は主から突拍子のない質問を投げられた。
「狛居、スパダリの定義を教えろ」
「はい?」
 また急になにを言い出すのやら。
終業後の帰り支度をしていた手を止めて、コートを着込む煌哉を見つめる。
「どうしたんですか、急に。あ、なにか冴月さんに言われたんですね? 洋画の俳優が素敵~とか、こういう旦那様に憧れる~とか」
「違う。そんなことを言われてないし、まだ一緒に映画も観ていない」
「ええ? 私がおすすめしたプロジェクターは購入したんじゃなかったですっけ。まだ使ってないんですか? 自宅でムービーナイトを楽しんだらいいのに。ピザとコーラを用意して。ワインもオシャレですけど、煌哉様そんなにお酒強くないですからねぇ」
 デカい図体をしているが、煌哉はさほど酒に強くない。顔色は変わらないし一見酔っているようには見えないが。
 だが酒が強くないおかげで冴月をゲットできたようなものなので、彼の体質も有効的に利用できたと言えよう。
「バタバタしてて映画をゆっくり観る時間は作れていないが、そうじゃない。お前が言ったんだろう。スパダリとやらは世の女性たちの憧れだと」
「はて、言いましたっけ」
 適当に言ったような気もする。
狛居は首を傾げつつ、そういえば言ったなと頷いた。
「で、幸せな新婚生活で毎日ウキウキドキドキムラムラなはずなのにスパダリの定義が知りたいだなんてなにがあったんです? まさか早々に飽きられたんですか? お可哀想に……」
「おい、お前はどうして余計な一言が多いんだ」
 煌哉の眉間に皺が寄った。わかりやすくムッとしている。
 狛居はどうも昔から煌哉をからかうのが好きなのだ。自分の悪い癖だと自覚しつつなかなかやめられない。だが主に頼られることも好きなので、狛居は素直で俺様な紳士に助言をすることにした。
「あくまでも一般論ですから、冴月さんに当てはまるかどうかはご自身で判断してくださいね。本人が望むことをするのが一番だと思いますけど、私が思うスパダリとはずばり、1.経済力」
「あるな」
「あるでしょうねぇ」
普通なら嫌味と捉えられてもおかしくないが、彼が言うのは嫌味でもなく純粋な事実だ。一生遊んで暮らせるだけの資産はあるし、孫の孫の代まで苦労しないほどの資産家だ。
だが煌哉自身に物欲はほとんどない。物欲の塊の狛居には信じられないが、すべてが不足なく揃っているとほしいものはないらしい。番を得た後は、彼女が望むものを与えることに喜びを感じていそうだ。
「次、2.なんでも受け入れられる包容力」
「それもあるな。冴月のことならなんでも受け止められるキャパはあると思うぞ」
「まあ、それもそうでしょうね。大変な事件にも自ら関わっていましたし」
 事後処理大変だったな……と狛居は遠い目をした。糸目なので気づかれにくいが。
 だが煌哉が冴月を射止めて番をゲットできたのも、彼女が抱えていた問題を解決できたからだ。爆速でゴールインを決めるにはこういう盛り上がりが必要らしいと、狛居は冷静に分析していた。主の幸せは自分の幸せでもあるが、あんな心臓が縮むような出来事は二度と経験したくない。
「3.家事能力。家事はアウトソースを利用してプロに任せればいいって思ってるでしょうけど、女性は最低限の身の回りのことは自分でやりたいと思う人が多いですよ。日々の洗濯とか、見られたくないものも多いでしょうから。煌哉様、どれくらい家事はできますか」
「……やろうと思えば一通りはできるぞ」
「なるほど。では冴月さんが急に風邪をひいたときはどうなさるおつもりで?」
「当然医者を呼ぶ」
「で? その先は? おかゆを作るくらいは覚えておかないと。あと炊飯器の使い方とお米の研ぎ方も。まあ、お米は無洗米を使えばいいですが」
 煌哉は神妙に聞き入っている。こういうところが昔から素直なんだよな、と狛居はしみじみ感じていた。子供の頃から態度がデカく堂々としていたが、可愛げがあるところは昔も今も変わっていない。
「わかった。自宅にいるときは極力俺が料理を作ろうと思う」
「あ、急に複雑なものを作るのはハードルが高いので初心者向けからにしてくださいね。あと包丁の扱いはくれぐれも気を付けるように。まな板も割っちゃダメですよ! 力加減は赤ちゃんくらいで」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」
「握力でタブレットをいくつ壊したと思ってるんです? 林檎くらい余裕で握りつぶせるでしょう」
 感情の昂りに反応するように獣の耳も生えてしまう厄介な体質の持ち主だが、狛居は二十年近く煌哉の変化を見たことはない。冴月に何度も見られているという時点で、彼女が特別な人間なのだとすぐにわかった。一族以外の前で変化を見られたのははじめてなのだ。
「まあ、いい。冴月の好物を作れるように料理の腕前を磨こう。で、他には? もうないな?」
「ラスト、一番大事なのを忘れてます。溺愛力です」
「は? なんだそれは」
「好きで好きでたまらなくて、めちゃくちゃ甘やかして溺れるように愛することですよ。まとめると、スパダリの条件は経済力、包容力、家事能力と溺愛力です。頑張って冴月さんに尽くしまくってください」
 ――まあ、全部私の見解ですけど。
 いつも適当なことを言う癖があるが、間違ってはいないだろう。多分。
 煌哉は一言「わかった。参考にする」と言ったがどこまで従うつもりなのかは不明だ。
もしも突拍子のない行動をしだしたら自分の責任なので、狛居はこっそり冴月に連絡するべきか悩むが、「まあ口を出すのは野暮だな」とスマホを懐に仕舞いこんだ。

◆ ◆ ◆

 一月下旬。冴月と煌哉は久しぶりに予定のない週末を迎えた。
結婚と引っ越し、獅堂本家への挨拶などで年末年始は特に忙しく、ずっと忙しない日々を送っていたがようやくのんびり過ごすことができそうだ。
――なにも予定が入ってないって貴重だわ。久しぶりに部屋でゆっくり映画でも観たいな。
午前中にある程度の家事を終わらせると、お昼過ぎから煌哉がなにやら張り切りだした。
「冴月、今夜は映画鑑賞しつつピザ食うぞ」
「え? ピザ? 出前でもとるの?」
「いや、俺がピザを作って焼く。材料とトッピングはもう買っておいた」
「いつの間に」
 ――確かにオーブンさえあれば自宅でも簡単にピザって作れそう。
 手作りピザなどしたことがない。冴月が一人暮らしをしていた部屋にはオーブンどころかトースターもなくて、ピザは出前で食べるものだった。自分でトッピングをしてピザを焼くというのは考えるだけでウキウキする。
「私も手伝うよ。なにしたらいい?」
「いや、トッピング以外は全部俺がやる。冴月はゆっくりしててくれ」
 準備は煌哉がするため、冴月は好きなトッピングをのせるだけでいいと言われた。なんともおいしいとこ取りである。
「そう? じゃあお言葉に甘えてお願いしようかな」
 ――煌哉がピザを作るなんてきっと貴重よね。動画撮って観察しよう。多分狛居さんも見たいって言うかもしれないし。
 ニットの袖をまくってキッチンに立っているだけでも絵になる男だ。
市販のピザ生地を使用するのかと思いきや、煌哉は生地から手作りするつもりらしい。強力粉と薄力粉を用意している。
「まさか生地から作るの? すごくない?」
「俺も動画を見て作り方を覚えただけだから、見様見真似だな」
 初心者だというわりに手際がいい。
 ――でも急にどうしたんだろう。一緒に映画鑑賞は嬉しいけれど。
 煌哉も簡単な手料理は振る舞ってくれるが、ピザは意外だ。誰かに入れ知恵でもされたのだろうか。それとも映画を観るならピザという連想ゲームで思いついたのかもしれないが。
 ――そういえばせっかく買ったのにまだプロジェクターの出番もなかったし、あとで映画の候補でも探しておこうかな。
 動画を撮りながら生地をこねる姿を観察していると、冴月に悪戯心が芽生えてきた。
 ――なんだろう。ちょっとうずうずする。
 粉塗れになっていて両手が使えない煌哉はとても貴重なのではないか。今なら普段はなかなかできないこともやれそうだ。
 冴月は動画を撮る手を止めて、煌哉の背後に回った。
「ん? どうした?」
 生地を丸めながら冴月に視線を向ける煌哉ににっこり笑いかけて、彼の背中に抱き着いた。
「えい」
 背後からギュッと抱き着くなんてはじめてかもしれない。脇腹でもくすぐろうかと思っていたけれど、煌哉の温もりと匂いを堪能すると心の奥がぽかぽかと落ち着いてくる。
 ――あ~これはいい……すごくいい。抱き枕みたいな安心感というか、安定感というか。
 引き締まっている腰はニットの上からでも伝わってくる。広い背中には包容力が詰まっていそう。
いつもはすぐ胸の中に閉じ込められてしまうけれど、背中を味わうというのは心地いい。胸とはまた違った魅力がある。
今度煌哉にぴったりなエプロンをプレゼントしようかと考えていると、彼がぼそりと呟いた。
「……おい、これは拷問か?」
「え?」
「俺の両手が使えない瞬間を狙ってそんな可愛いことをするなんて、なにか俺に不満があるってことか。そうなんだな? わかった」
「いや、なにもわかってないと思う! 自己完結やめて」
「じゃあなんで背中に抱き着いてくるんだ。いつもは自分から来ないだろう」
「いつもは気づくと煌哉が正面から抱きしめてくるから、自分からハグするタイミングがないだけで」
 気づくと彼の胸に閉じ込められてしまう。もちろんそれも嬉しい。安心感があって心地よくて、程よく眠気を感じられる。彼の包容力というものに甘えきっている自覚もある。
「こんな時じゃないと、煌哉の背中に抱き着けないなって気づいただけで……って、邪魔よね。ごめん、すぐ離れるから」
「違う、邪魔じゃないぞ。ただ煩悩が刺激されてムラムラする」
 ――なんで?
 直球すぎる申告が煌哉らしい。しかし背中にも彼を刺激するスイッチがあるのだろうか。
「あと腕を使うから危ないかもしれない」
「それは確かに。わかった、離れるからあと三十秒ちょうだい」
 そう言いつつ冴月はそっと煌哉の腰に回した手をセーターの中に滑らせた。鍛えられた腹部を直に触れると、彼の背中がピクッと反応する。
「……っ、こら、冴月」
 声に甘さが滲んだ。窘めるようで窘めていない。
 ――あったかい。お腹硬くて腹筋がすごい。
 指の腹で凹凸をなぞる。彼と出会ってから人肌に触れるのは気持ちがいいことをはじめて知った。当然誰でもいいわけではない。愛する人だから触れたくなる。
「あとちょっと……」
 心の中でカウントしていた三十秒を過ぎた頃、冴月はようやく煌哉から腕を放した。
「ありがとう! 満足した。邪魔してごめんね。あとはごゆっくり……」
「ゆっくりできると思うのか? 煽ったのは冴月だからな」
「え? いやいや、ちょっとした悪戯心で……す、ッ!」
 離れようとした直後に腕を取られた。正面から抱きしめられたまま上を向かされ、目を金色に光らせた煌哉に口内を暴かれる。
 ――あ、いつの間にか生地が完成してる!
 綺麗に丸まっている生地を横目で捉えて感心するが、この状況はあまりよろしくない。
背中に回された腕に意識が集中する。両手の粉が背中につかないようにと配慮をしつつも、ついたら洗濯してシャワーに入ればいいと思っていそうだ。
「ああ、髪と服に粉がついてしまったな。早く洗濯しないと」
「……あの、ピザ生地は」
「ちょうどこれから寝かせるところだな。その間にシャワーを浴びるぞ」
「いえいえどうぞおひとりで……って、待って、抱き上げないで!」
「遠慮はいらん」
「遠慮します……!」

 欲望のまま背後から抱き着いた結果浴室でたっぷり喘がされ、クタクタになった冴月はリビングのソファに運ばれた。
予定通り映画鑑賞をしつつ煌哉が焼いたピザを食べたのだが、煌哉が選んだ濃厚なロマンス映画のせいでふたたび襲われる羽目になった。
――ロマンス映画は危険……!
今度二人で観るのは恋愛要素が一切ない映画にしよう。
ドロドロに甘やかされて事後処理も完璧に終わらせた煌哉に「俺の溺愛力は何点だ?」と訳のわからないことを訊かれた気もするが、冴月はなんと答えたかは覚えていない。
ただなんとなくこの日の出来事に狛居のアドバイスが関わっている気がするのは、気のせいではないだろう。

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