ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

逃げられないのは

 無骨で堅牢、質実剛健なエシュガルド城の敷地内には、ふたつの庭園が設けられている。
 片や、非常時のための備蓄ともなる野菜を育てている、巨大な菜園。最近はその隣に王子妃が管理する牧場や温室も設備され、さまざまな生き物たちの鳴き声が聞こえてくるようになっている。
 もう片方は、王城付きの庭師によって整えられた、城の雰囲気にはあまり似合わない慎ましげ花園だ。
 花園を彩る花々は季節によって移ろうが、初夏である今主役となっているのは、小ぶりの薔薇たちだった。主に白や桃色、黄色、薄紫などの淡い色で統一された花園は、むさくるしい城の中で唯一可憐な場所といえる。
 若く繁る葉の隙間から、白い陽光がちらちらと差し込んでいる。芳しい香りが辺りいっぱいに立ち込める中、体の内側を撫でられるようなむず痒さを感じて、ジゼルは思わず尻を動かした。動くと、尻の下の硬い感触をよりいっそう感じてしまう。
「……ねぇ、レオ」
「ん? どうしたの?」
 耳朶を打つのは、柔らかく響く夫の声。産毛を揺らすほどの至近距離で囁かれれば、反射的に首がすくんでしまう。
「え、えっと……あの、これは、どういう……?」
 ジゼルはまたむず痒さを感じて、座ったまま控えめに体をくねらせた。
 目の前のガーデンテーブルには、可愛らしく装飾された菓子たちが所狭しと並べられている。色とりどりの果実と、雲そのままのような真白いクリームで飾り立てられたそれは、誰の目も楽しませてくれるだろう。
 そのどれもこれもが腕の良い菓子職人によって作られたもの。目だけでなく舌も楽しませてくれるということは、ジゼルもよく知っている。
 ふと、耳元にくすり、と軽やかな笑い声が落ちる。
「どういうって……可愛い可愛い僕の奥さんに、僕が手ずからお菓子を食べさせてあげようとしてるんだけどな。……嫌?」
 夫はよく、この「嫌?」という台詞を放つ。だが、本当に嫌ならばこうして共に過ごしているわけがない。それをわかっていながら、彼は深い海のような瞳を潤ませ、じっと窺い見てくるのだ。「待て」をする犬のように。
 その健気な眼差しに、ジゼルはどうしようもなく弱い。
「えっと……い、嫌というわけじゃ……」
 菓子は嬉しい。幾分恥ずかしさはあるが夫の気持ちも嬉しい。
 問題なのは、今の体勢だ。
 今ジゼルは、ガーデンチェアに腰かける夫、レオナルドの膝の上に座っていた。
 ――いや正しくは、座らされていた。
 見える限りでは、ここにはジゼルたち以外に誰もいない。しかし背後にある生垣を隔てた向こう側には、王族付きの近衛騎士たちがしっかりと控えている。
 ひそやかな会話であれば聞こえない程度の距離は空いている。とはいえ、呼べば即座にこの甘ったるい痴態を見られてしまうだろう。
(こんな姿を見られたら……私、恥ずかしくてお城を歩けなくなってしまうわ……)
 呻きつつ羞恥に身をよじっても、石像のように微動だにしない手によって左肩を掴まれてしまい、逃げられそうもない。しかし諦めきれず、せめても、とジゼルはレオナルドの胸に手を置いた。
「で、でも、私の椅子はそこにあるじゃない。膝に座る必要は……」
「何を言っているんだい、ジゼル。大事なことだよ」
「だ、大事?」
「そう。僕たちが生涯仲良くいるためにね」
「……え?」
「僕はね、もう戸惑ったり怖がったりしないと決めたんだ。君と末長く幸せに暮らしていくために全力を賭す、と。だから……」
 レオナルドはジゼルの耳に唇を寄せた。耳の淵に唇をかすかに触れ合わせつつ、あたたかな吐息を吹き込む。
「僕の愛情、受け取ってよ? ……仲良くしようよ、僕の奥さん」
 ジゼルは頬も首筋もすべてを薄桃色に染め上げ、身を、吐息を震わせた。結婚してから半年ほど経つが、あまりにも甘すぎるレオナルドの態度には未だに慣れない。
 彼の愛情は結婚する前から重く偏執的だったが、結婚した今は煮詰めた砂糖よりも甘く粘っこくなってきているような気がしてならない。
 押し潰されてしまいそうなほどの愛情は、確かに嬉しい。
 嬉しいのだが……。
「あ、あの、もちろん仲良くはするけれど……でも、外でこんな……恥ずかしいわ……」
「大丈夫だよ。誰も見ていないから」
「……でも……」
 ジゼルの戸惑いなどまったく気にしていない様子で、レオナルドはガーデンテーブルの上から一枚のクッキーを手に取り、ジゼルの口の前に持ってくる。
「ジゼル、口を開けて?」
「……え」
「ね? これ、美味しいから」
 陽光を受けて、黄金の髪がつややかに光る。クッキーを持った絵画の如き美麗な顔が、眼前で笑んでいる。心の内の愛情を、これでもかというほどに溢れさせて。
 もう、こうなったら梃子でも動かないだろう。レオナルド・エシュガルドとは、そういう男だ。
「もう……」
 ジゼルはすべてを諦め、ため息と共に目を瞑って小さく口を開いた。途端、香ばしい匂いを放つものが唇に触れる。それが唇を割り、舌に乗って、さらに。
「……んっ?」
 指ごと、口の中に押し入ってきた。
 思わず目を開いたジゼルの目の前には、木漏れ日に照らされながら微笑む夫の顔。彼の指は舌の上に菓子を置くなり、歯の窪みを確かめるようにゆっくりと口の中を一周し、外へと出ていった。
 いやになまめかしい食べさせ方に、頬が勝手に熱くなる。
 レオナルドは、唾液でてらりと光る白い指を――。
「……っ」
 ぺろり、とさも美味しそうに舐める。
 毎度のことながら、彼のこの変態的ともいえる行為には、胸の奥の何やらをごっそりと削られてしまう気がする。
 ジゼルは沸騰しそうな顔をむっつりと顰めながら、どうにかこうにかクッキーを咀嚼した。俯いて、レオナルドの胸に額を擦りつける。
「今の……舐める必要、あったの……?」
「うん、もちろん。ジゼルが食べたクッキー、とても美味しいね」
(クッキーの味なんてほとんどしないでしょう……)
 くすくすと笑い続けるレオナルドは、ふとジゼルの顎を指先でくすぐる。
「ねぇ、ジゼル」
「な――」
 ――なに?
 そう問おうとした声は、言葉になる前にレオナルドの口の中に吸い込まれた。
「……ふっ、ん……っ」
 唐突に重なり合った唇からは、遠慮のかけらもなく熱い舌が捩じ込まれる。それは口の中に残る菓子の残滓すらも余すことなく舐めとるように侵略し、貪る。
「は……っあ」
 顎を掴まれ、温い唾液を流し込まれる。口蓋のざらつきをぬるりと舐められると、腰に痺れが走った。舌と舌が触れ合うたび、背筋を快感が駆け上り体の中心で熱情が渦巻く。
 すべらかな指の腹が耳の淵を、顎の線をなぞる。かと思えば耳に戻っていき、刺激に弱い裏側を爪の先で優しく嬲る。
 くちくちと粘着質な音を立てながら口内を蹂躙されているうちに、ジゼルの意識からは、生垣の向こうの騎士のことなどすっかり追いやられていた。
 はあ、と二人分の熱い吐息と共に唇同士が離れると、そこには銀色に光る糸がかかり、ぷつんと切れては胸元へと落ちていく。
「……やっぱり、甘くて……すごく美味しいよ。……ね、部屋、行こうか?」
 低く艶を孕んだ声に、ジゼルは息も絶え絶えに小さく頷く。
 朝も、昼も、夜も。レオナルドからの口付けは、体の内に火を灯す合図となる。


   ***


 目の前に広がるのは、雪よりも清らかな白磁の肌。つややかなふたつのふくらみは左右非対称に跳ね飛び、その中央の蕾は幻惑のように軌跡を描いて男を誘う。
 狂おしいほどに愛しい妻は視線を朧げに彷徨わせ、律動に合わせて甘く喘ぐ。小さな口から覗く前歯はまるで慎ましい貝殻のよう。可愛くて仕方がない。
(あぁ、ジゼル……君は……女神かな?)
 一糸まとわぬ体を出窓に座らせ、両足を上げさせ大きく広げる。一見はしたなく見えるその格好も、彼女がやれば芸術品のよう。
 慎ましげに綻ぶぬかるみは、食いちぎらんばかりにレオナルドの楔を咥え込んで離さない。その最奥を、捏ねるようにして幾度も穿つ。
 自分はただ下穿きを寛げただけ。そうすることによって、彼女本来の美しさが際立つのだ。
「……ねぇ、ジゼル。わかる? 今日はいつもより濡れてるね。……ふふ。興奮、してる?」
「あっ、や……言わ、ないで……っ」
 栗色の瞳が羞恥で潤む。普段は学者として理知的な光を湛えている瞳が、自分がこうして触れるだけで瞬く間に快楽に染まる。ぞくぞくとした悦を感じ、レオナルドは興奮で乾いた唇を舐めつつ熱い吐息をついた。
「それは……無理かな。だってこうして辱めてあげると……君の体のほうは、悦んでくれているみたいだから」
「そん――やぁっ!?」
 桃色に染まった耳の淵を強めに噛む。そうすると、ジゼルはいっそう肌を薄桃に染めて身を震わせる。
 反り返った喉がなんとも美味しそうだ。思わず噛みつきたくなるほどに。首筋で踊る赤茶色の髪ごと、彼女を余すことなく食べてしまいたい。
「ジゼル……本当に君は、存在のすべてが可愛いね。快楽で蕩けている君は……殺人的だよ。胸が痛い……」
 恥ずかしそうにしながらも、こうして甘い言葉をかけてあげるとジゼルは嬉しそうに瞳を潤ませる。花開くようにして広がる色香に溺れてしまいそう。
 レオナルドはジゼルの体を引き寄せ、強く抱き締めた。心の内から溢れてくる感情が、制御できそうになかったから。
「……はぁ。ジゼル。愛しているよ。……十年前からずっと、僕には君だけだ」
 じんじんと痛むほどに猛った屹立で熟れた最奥を愛しながら、細い首筋に口付け、薔薇色の花びらを満遍なく散らす。彼女の存在を自分に繋ぎ止め、主張するために。
 ジゼルへの愛情が、一般的に「重たい」といわれる部類であることは承知している。だが、それでも止められないのだ。絶対に離れたくない。離したくない。
(本当に僕は……君のことになると、余裕がなくなってしまうな)
 快感と自嘲が入り交じった吐息をつくと、ふとレオナルドの頬を何かが撫でた。
 それは、白く細い指。
「レオ……」
 目の前を見ると、とろりと蕩けた栗色の瞳が見つめている。
「レオは、レオでいいよ。……全部、受け止めるから」
 ジゼルは微笑んだ。慈愛の女神のように、柔らかに。
 胸が、ぎゅうっと掴まれるようだった。すべてに対して真摯で、直向きで、寛容で、しかし少しだけ不器用な彼女が愛おしくてたまらない。
「君には……敵わないね」
 仔リスのような前歯を飾る、ふっくらとした下唇を食む。もっと焦らして乱れさせようと思っていたのに、いつの間にかこらえきれずに彼女を求めて腰を激しく打ちつけていた。
 限界は、近い。
「……は、ぁ、ジゼル……っ、いい?」
「ぁっ、んっ……うん、きて……っ」
 切なく響く了承の言葉に噛みつくような口付けを返し、レオナルドは抽送の速さを上げた。ジゼルを、快楽の高みに昇らせるために。
(あぁ……そうか)
 そうして、ジゼルが甲高い嬌声と共に大きく身を震わせたとき。レオナルドも、体を苛む甘い痺れに身を委ねた。
(捕まったのは……逃げられないのは……僕のほうなのかもしれないね)
 二人抱き締め合い、頬を擦り合いながら、幸せな余韻に浸る。
 十年来の友であり、今は何よりも大事な妻である彼女へと、溢れる想いを迸らせて。

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