ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

子育ては、やりがいがある

 窓を開けると、春風がアーモンドの花弁を優しく包みこんで部屋に運んできた。
「うわぁ! アーモンド。アーモンドの花が咲いてる!」
「そうね。ここ最近ずっとお天気が続いたから」
 小さな男の子は、窓の桟に手を出して精いっぱい背伸びをし、頬を染めて嬉しそうに母親に話しかける。
 母親はそんな我が子を抱き上げようとしたが、気づかなかったのか男の子はその場でぴょんぴょんと跳ね出す。
「花が咲いたら次は実だねっ。アーモンドの実、楽しみい! たっのしみ、たのしみ、たのしいよ。だって、アーモンドはおいしいの」
 男の子は調子っぱずれながら、楽しそうに自作の歌を披露する。
 そんな息子の様子を、母親は微笑ましげに見つめている。
 男の子はこれまた創作ダンスまでつけて、まるで儀式のように踊り出す。少々癖のある銀の髪が楽しそうに揺れている。その通り、きっと男の子は楽しくて仕方がないのだろう。愛くるしい顔に無邪気な笑みを浮かべている。
 キラキラと、男の子の周囲が輝き出す。
 それに気づいた母親は歌と踊りを止めようと、小さな息子のもとへ駆け寄る。
「ラディ、ラディス! それ以上は歌ってはだ――」
「はやーく実が、なりますよーに!」
 と両手を上げて大きく振る。
「ラディ、それ以上歌ったら本当に実がなってしまうぞ」
 それを制したのは男の子の父親だ。瞬時にキラキラが消えてしまった。
 ホッと胸を撫でおろしている母親のかたわらで、男の子は大きなミント色の目をますます大きくして父親を見上げた。
「どうして? クレイシス。僕もデリアも、クレイシスだって、アーモンドの実は大好きじゃないか。『デリアの作るフロランタンは最高だ』ってクレイシスはいつも言うでしょ? 早くたべたいじゃない」
「デリアは花の時期も好きなのだよ。まぁ確かに、デリアの作るフロランタンは私の好物だがな。だが、それ以外でもデリアの作る物はなんだって美味しいし、好きだ。いや、私はデリアの作る物だけが好きなんじゃない。本人が一番好きなのだ」
「僕だって! デリアがアーモンドの花が好きだって言うなら我慢するよ! それにデリア作るお菓子はおいしいし好きだけど、デリアが一番好きだもん!」
「デリアのことが一番好きなのは、夫であるこの私だ!」
「僕だって! 僕のお母さまであるデリアが一番好きだもん!」
 趣旨がずれているし――またいつもの言い合いが始まった。
 デリアはやれやれと溜め息を吐いた。
 自分が産んだのが信じられないほどの美しい子が誕生したのが、三年前。
 銀の髪に透けるような白い肌、紅色に染まる頬。鼻も口元も上品で、クレイシスの血を色濃く受け継いだ男の子だ。大きな目が開いてみれば自分と同じ色の瞳で、自分の血を引いている証があってホッとしたのを覚えている。
 ラディスと名付けた赤子は、クレイシスの分身みたいな子だ。
 周りの物が宙に浮いたり、泣けば本人が輝いたり。乳が欲しいとデリアをベビーベッドに引き寄せたこともあった。
 日常的に魔法が使われている世の中だけれど、さすがにここまでの事態はごく稀だ。『妖精との取り替えっ子』と両親に怖がられたというクレイシスの過去話にも納得できる。
『特級魔道士』と名乗る名誉を与えられるほどの強い魔力を持つ彼と結婚までしたデリアは、「なるほど」と至極冷静に対処した。
「真っ当な精神を育て、愛情深い子に育てよう」
「思いやりがあって、人の痛みの分かる子に育てよう」
「整理整頓に簡単な掃除や調理のできる子に育てよう」
 そうクレイシスと話し合って決めた。
 クレイシスは生まれたての我が子の小ささと柔らかさに「壊れないか?」と怯えながらもその小さな体を抱き、蕩けた表情を見せた。
『君しか愛さない。君しかいらない』
 とデリアに告げたこともある彼が、実際に子供ができたらどうなるのだろう? と心配したが、杞憂だったことにホッとしたものだ。
 ――そして現在。
 クレイシスの血を濃く受け継いだラディスは、魔力や魔法のセンスだけでなく性格まで似てきている気がする。
 貴族の仲間入りをしたデリアだが、何せクレイシスだって自身の功績により爵位を授かっただけで生粋の貴族ではない。貴族としての教育をすべきか? と二人で考えたが、最終的にマナーだけはしっかり教え、本人が年頃になったら選んでもらおうと決めた。
 もちろん、デリアも伯爵夫人としてのマナーを勉強しつつ子育てをしている。
 クレイシスの秘書兼助手は、妊娠後期に入ってから辞めた。それまではしっかりと魔法省に勤めていたデリアだ。
 現在、クレイシスには秘書と助手の二人がいるが、余計な秋波を受けたくないということで、こちらも夫婦である男女を選出し、夫は助手、妻には秘書と割り振った。
 王太子から国王に即位したアルウィッドの紹介なので、安心して任せることができる。
「辞めるってことは、君は魔法省にいられないではないか! 離れ離れに暮らすのか?」
 としかめっ面を崩さず、仕事も放棄してしまったクレイシスを見たアルウィッドが、拝領された領地内にある屋敷と魔法省内にある彼の研究室を繋ぐ移動魔法陣の設置許可を与えてくれた。
 随分と甘いが、クレイシスをこの国から逃がさない手段の一つと思えば、国の重鎮たちも首を縦に振らざるを得なかったのだろう。
 毎日通える状況になって、クレイシスはようやく機嫌を直したのだった。
 妖精王の子供のような可愛い息子を産んで、クレイシスと二人で子育てをして毎日が充実して幸せだ。
 三歳になったラディスは、この年齢にしては利発で、時々こましゃくれた言動をしても可愛い子だ――親の欲目だが。
 子供らしく我が儘も言ったり、感情が爆発して癇癪を起こしたりもするが、少々魔力が暴走して、たまに屋敷に被害が出るだけで普通の子供と変わらない――親の欲目だが。
「パパ」「ママ」と呼ばず名前で呼ぶのは、自分たちが名前で呼び合っていることに起因している。『僕もそう呼びたいの……駄目?』とミント色の目を潤ませて必死にお願いされたら頷くしかない――これも親の欲目だが。
 多少変わったことはあれど普通の家庭を築いていると思う――ただ一つを除けば。
「デリア!」
「デリア!」
 クレイシスとラディス、二人同時に声を掛けられて「はい」とデリアは思わず背筋を伸ばす。
「デリアは僕とクレイシス、どっちが好きなの!?」
「デリアは私のことが一番好きだろう? 夫婦なのだから!」
 ――これだ。
 ラディスの口が達者になった頃から、二人はよく『デリアが一番好きなのは僕』『私』『デリアを一番好きなのは僕』『私』と言い争うようになったのだ。
 デリアは鬼気迫る二人に心底呆れたというように、大きな溜め息を吐いてみせた。
「……毎回毎回、飽きもせずに繰り返すわねぇ」
 デリアの様子に瞬く間に萎れる二人。
 二人にとってデリアは特別で、何にも代えがたい存在なのだ。そんなデリアに嫌われたら生きていけない! ――とばかりに二人、上目遣いでデリアを見つめる。
「すまない、デリア。つい白熱してしまった」
「デリア、ごめんなさい。クレイシスのこと嫌いじゃないんだ。僕のお父さんだし」
「私だって。ラディスは私の息子だし。……ただ」
「ただ?」
 デリアは腕を前に組んで顎をしゃくる。
「デリアが好きすぎて、ついつい喧嘩になっちゃうの」
「デリアを愛しすぎて、ついついラディスに嫉妬してしまうのだ」
 ――仕方のない二人ね。
 デリアはラディスを抱き上げ、そのままクレイシスに身体を密着させる。
「わたしは、二人のこと好きだし、愛してるわ。どっちも失いたくない存在なの。だから二人がわたしを取り合って仲違いするのは哀しいわ。わたしが泣いてもいいの?」
「よくない!」
「ああ、よくないな」
 二人の言葉を聞いてデリアは、それぞれの頬に愛情のキスを落とす。
 それでようやく仲直りしたクレイシスとラディスに、デリアはとっておきの魔法を唱えた。
「来年には、もう一人家族が増えるのよ」
 と。
「ラディス! 来年にはお前はお兄ちゃんだぞ!」
 クレイシスがラディスを抱き上げ、万歳と高く持ち上げる。
「すごいすごい! 妹か弟ができるんだね! うわぁ、たくさん愛してあげなきゃ!」
 大喜びしている二人を見てデリアは思う。
執着心が強いけれど大丈夫。健やかに愛情深く育ってるわ――ラディスもクレイシスも。
 子育ては秘書や助手の仕事よりも大変だけれど、やりがいがある。
 デリアはそう思った。

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