ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

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月夜の独白

 カーテンの隙間から零れる月光が、寝室のベッドの上に一筋の線を貼り付けていた。
 それはシーツの中に潜む柔らかな体の隆起に添って滑らかに歪み、呼吸に合わせて緩やかに動く。
 夜闇の静寂を纏ったセスの指先が、エリタの艶やかな栗色の髪を梳いた。
 強く噛みついて傷つけてしまったうなじには触れないように、細心の注意を払いながら、毛先までのひんやりとした感触を味わう。
 指先から逃げるようにシーツに滑り落ちた毛先を見つめてから、セスはエリタの顔に視線を戻した。
 髪よりも少しだけ濃い色の睫毛が、時折震える。瞼の奥にある飴色の瞳を思い出しながら、セスはエリタの腰を抱いている腕に力を込めた。
「……ん」
 引き寄せられた体が僅かに身じろぎ、セスの鎖骨にエリタの頬が擦り寄せられる。吐息が胸元を掠めて、セスはその甘やかな感触に息を詰めた。
 この腕で、エリタの体の柔らかさや温かさを知る日が来るなど、数日前までは思ってもいなかった。
 崇拝に近い恋慕が、些細な切っ掛けでこんなにも醜い肉欲に変わることも、この身に衝動が沸き起こるまでは知りもしなかった。
「君に、酷いことをしている自覚はあるんだ。罪悪感も。けれど、もう戻れない。君を手放すことはできない」
 強引に体を奪ってしまった以上、心は手に入らないとわかっていても、それが自分以外の誰かのものになるのは許せない。
 だからこそ、エリタの口からランフォスの名が愛おしげに呟かれた瞬間、セスの思考は理不尽な怒りと嫉妬に埋め尽くされてしまったのだ。
「無理だと思っていても、欲しい。君の心も、欲しい」
 強引に犯され、訳もわからず許しを請うエリタの姿が脳裏に焼き付いている。エリタの華奢な指先や震える声までもが思い出され、セスはきつく瞼を閉じた。
 悋気を押さえ込めず、伸ばされた手を冷淡に振り払ってしまった腕が今更のように後悔に疼く。
 吐き捨てた命令の言葉も、醜い嫉妬に塗れていた。
 それなのに、エリタは文句も言わずにただ頷いたのだ。
 一方的で不当な指示にもかかわらず従われた瞬間、セスは吐き気を覚えるほど自分を嫌悪した。
 心臓を氷で貫かれるような罪悪感に全身が痺れ、申し訳なさと愛しさに目尻が熱くなったのを覚えている。
 堪らず、覆い被さるようにして抱き締めたエリタの体は温かく、甘い匂いがした。
 セスの懺悔はシャワーの音に紛れてエリタには届かなかったが、それでよかった。
 もう一度言って欲しいと願われたが、セスはただエリタを抱き締める腕を強めた。
 セスはエリタの意思も心も無視して蹂躙したというのに、彼女はそれでも、セスの心を知ろうとする。
 その純粋さと優しさが、セスにとっては他の何よりも罰だった。
「……エリタ、愛してる。愛してるんだ」
 白く柔らかなエリタの頬を指先で撫でて、許しを請うように囁く。
 美しい寝顔をもっと見たくて頬にかかる髪を梳き退かすと、エリタの睫毛が微かに揺れ、愛らしい寝息を零していた唇が薄く開いた。
 薄桃色のそこがどれほど柔らかく甘いかを、セスは知っている。
 今夜はもう何もすまいと決めはしたが、凝視してしまった唇の誘惑からは逃れられなかった。
 誘われるように顔を寄せ、そっと唇を重ねる。
 小ぶりな果実を摘まむようにエリタの柔らかな唇を食むと、ちゅっと小さな水音がして、僅かに濡れた。それを塗り広げるように、もう一度唇を押しつける。ゆっくりと擦ると微かにエリタの上唇がめくれて、セスは堪らず舌を歯列の隙間に滑り込ませた。
「――ん、ぅ」
 呼吸を妨げられたことで、エリタの頭部が僅かに反る。セスはそこでくちづけをやめようとしたが、異物を押し出そうとしたエリタの舌に舌を擦られて、やめられなくなってしまった。
 逃げられないようにエリタの後頭部を押さえ、くちづけの角度を変える。深く重なったそこから舌を深く伸ばし、セスはエリタの舌を絡め捕った。
「っ、……ん、ふ」
 引き出したそれを味わうように吸うと、エリタの体がひくんっと反応する。
 くちづけを止めぬままセスがじっとエリタの瞼を見つめていると、睫毛が小刻みに震えた。
 ゆっくりと僅かに持ち上がり、とろりとした飴色の瞳がわずかに覗く。けれどそれが目の前の男を映し込む前に、セスはエリタの目元を手で覆った。
「夢だよ、エリタ。――頼むから、起きないでくれ」
「……ぁ……?」
 微睡みに戸惑いが混ざるような声音を発した舌を、優しく舐める。
 セスがあくまで穏やかにくちづけを続けると、エリタは子犬が鳴くようにくんと甘く鼻を鳴らした。
 エリタの睫毛が、セスの手のひらを擽る。それは目を覚ますような動きではなく、心地よさに沈むように一度下に動いただけで静かになった。
 まるでくちづけを許すような状況に煽られもしたが、その無防備さにこそ理性を呼び覚まされもして、セスは名残惜しむようにエリタから唇を離した。
「すまない、エリタ。どうしたら君を手放せるか、わからない。考えたくもない。君は俺のものだよ。この先も、ずっと――」
 未練のようにもう一度だけ下唇に吸いつくと、セスはエリタの頭を懐に抱き寄せて目を閉じた。
 甘い吐息が胸元を掠め、腕の中にエリタがいることを味わう。
 現状に至上の幸福と罪悪感を抱きながら、セスは手放せぬものを閉じ込めるために、両腕に力を込めた。

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