ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

嫉妬

 馬車に乗り込むと、ジェラルディンは背もたれに身を預けて深く息を吐き出した。
 毎回だが、孤児院の訪問は大変に疲れる。
「……ふう、今日も子供たちは元気だったわね」
「そうですねえ。子供ってどうしてあんなに元気なんでしょう……」
 侍女として随行してきたノーラも疲れたのか、フーッとため息をついていた。
 定期的に寄付を行なっている孤児院には、毎月お茶会に呼ばれている。お茶会――院長から寄付金の用途の報告を受けるついでに、子供たちとお茶やお菓子を楽しむ会なのだが、この子供たちが大変に腕白なのである。
 あの孤児院はまだ幼い子が多く、まだ身分差や社会の常識などがわからない幼児たちは、ジェラルディンのことを〝毎月お菓子を持ってきてくれる優しい大人〟と認識しているようで、大変懐いてくれている。そのため接し方にも容赦がない。〝遊んで〟〝これ見て〟〝抱っこして〟〝一緒に鬼ごっこ〟〝ご本読んで〟と四方八方から引っ張りだこにされるものだから、ジェラルディンもノーラも、帰る頃にはすっかりヘトヘトになっているのだ。
「でも……ふふ、ユリシーズとクライドの小さい頃を思い出して、懐かしいわね……」
 歳の離れた弟たちも大変なやんちゃ坊主だったから、ジェラルディンはずいぶんと手を焼かされたものだ。
 昔を思い出してクスクスと笑っていると、ノーラもつられたように笑った。
「私は坊っちゃま方の小さい頃は存じ上げませんが、なんとなく想像がつきます」
「まあ、クライドはあまり変わっていないものねぇ」
 今年十二歳になる下の弟のクライドは、来年には全寮制寄宿学校に通うことになるというのに、いつまでも子供のままで少々心配なところである。
「そういえば、今日はサミュエル様と一日中一緒にいられると、坊っちゃま方が朝からソワソワしてましたよ」
「あの子たちったら、本当にサミュエルのことが大好きよねぇ。本当の姉も一緒に帰省しているんですけど、存在を忘れてやしない?」
 唇を尖らせて文句を言えば、ノーラは慌てたように手をブンブンと振った。
「そんな! お嬢様が帰っていらしたことも、喜んでいらっしゃいますとも!」
「ふふふ、気を遣ってくれてありがとう、ノーラ」
 昨年サミュエルと結婚したジェラルディンは、デヴォン侯爵家に嫁入りし、実家を出てサミュエルと共に王都にある新居で暮らしている。
 だがサミュエルが長期休暇に入ったため、実家であるコヴェントリー侯爵領へと夫婦で帰省しているのだ。
 実家への帰省はジェラルディンのたっての願いだった。結婚以来、片時も妻を傍から離そうとしないサミュエルのおかげで、実家に帰ることもままならなかったのだ。
『弟たちもあなたに会いたがっているから、一緒に行きましょうよ』
 ジェラルディンだけでなく、サミュエルも一緒に実家へ行くことで、なんとか頷かせることができた。
 そんなわけで、ジェラルディン夫婦は一昨日から実家のカントリーハウスに滞在しているのだ。
(……ちょっとお父様の反応が気になっていたけれど、意外と大丈夫そうだったわね)
 結婚時にすったもんだがあったことから、父侯爵とサミュエルの仲は良好とは言い難い。サミュエルを連れて行くことに難色を示すかと思っていた父だったが、意外にもすんなりとOKしてくれた。あまりにもアッサリとした反応だったから、カントリーハウスに着いた瞬間、決闘でも申し込むのではないかと心配していたジェラルディンだったが、ここでも父は静かに婿を受け入れていた。
(まあ、歓迎する様子もなかったけれど……)
 ジェラルディンのことは満面の笑みで抱き締めていたが、サミュエルとは軽い握手だけでその顔には笑顔は全くなかった。とはいえ、斬り掛からなかっただけでも十分である。
 やがて侯爵邸が見えて来て、馬車がゆっくりと停車した。
 御者の手を借りて馬車から降りていると、東庭の方から勇ましい声が聞こえてくる。
 ノーラと顔を見合わせて頷き合うと、エントランスではなく声の方へと足を向かわせた。
 東庭は父がガゼボや噴水などを排除し、簡易的な鍛錬場に変えてしまっているので、庭と呼んでいいものかどうか迷うところである。
「お父様がまた弟たちを特訓しているのかしら?」
「そうかもしれません」
 父は長男のユリシーズが帰ってくると決まって剣の鍛錬をさせるので、今回もまたそうだろうと思っていたのだが、東庭にいたのは父ではなくサミュエルだった。
「もう少し重心を下に落とす……、そうそう、背筋を伸ばしたまま腰を落とすんだ。体幹に力を込めたまま、筋肉を震わせるな。歯を食いしばれ」
「クッ……」
「声を出すな。力が抜けるぞ」
 どうやら剣の型の訓練をしているようで、腕を組んで監督するサミュエルの傍らで、弟たちが重い長剣を構えた体勢のまま動きを止めている。どれくらいその体勢を保っているのか分からないが、弟たちの表情は鬼気迫り、全身から大量の汗が噴き出しているのが見て取れた。
「……ッ、もう、限界っ!」
「あーーーーっ!」
 ユリシーズとクライドがほぼ同時に叫びながらその場に崩れ落ちると、サミュエルが微笑みながら頷いた。
「及第点かな。ユリシーズは姿勢がぐらつきがちだ。体幹の筋肉が弱いな。さっきやった訓練を毎日繰り返すといい。クライドは基礎体力はありそうだな。身長がこれから伸びるだろうから無茶な訓練はしない方がいいが、柔軟性は高めた方がいい。股関節の可動域をもう少し増やした方が受け身が取りやすいぞ」
 具体的なアドバイスを述べながら弟たちに手を差し伸べてるサミュエルに、二人がキラキラした笑顔を向けた。
「ありがとうございます、サミュエル! 僕、毎日やります!」
「サミュエル、サミュエル、じゃあ次、次! さっきやってた蹴り教えて! すっげえカッコよかった!」
 嬉々としてサミュエルに纏わりつく弟たちは、先ほどまでの鍛錬の疲れなどまるで感じさせない元気の良さだ。憧れの元騎士団長に構ってもらえた喜びにはち切れそうである。
「待ってくれ。今日はもう十分動いたよ。君たちも汗を拭いて体を休ませなさい。……それに、私の最愛の妻が帰って来たようだからね」
 二匹の仔犬に戯れつかれた人のように困った苦笑を浮かべながら、サミュエルがこちらを見た。
 ジェラルディンはクスクスと笑いながら彼らの所へと歩いていく。
「サミュエルに遊んでもらっていたのね」
 ジェラルディンの感想に、弟二人は膨れっ面をした。
「違うよ! 剣の特訓をしてもらっていたんだ!」
「そうだよ! 子供じゃないんだから!」
「あらあら、ごめんなさい。そうね、特訓をしてもらっていたのよね」
 どうやら言葉を間違えてしまったらしい。やんわりといなしながら、ジェラルディンはサミュエルの傍へ歩み寄る。するとサミュエルは近づいてきた妻の体を攫うように腕を伸ばして腰を抱いた。
 没薬(ミルラ)の少しスパイシーでほの甘い香り――サミュエルの匂いがして、ジェラルディンはフッと体の力が抜ける。いつの間にか彼の匂いで安堵するようになってしまった自分が少し怖い。
 そんなことを思っていると、サミュエルが小さくホッと吐息をつくから、思わず苦い笑みが漏れた。
(……私を傍に取り戻せて、安堵しているのね……)
 なんてお互い様だろう、と思ってしまう。
(同じ穴の狢(ムジナ)――そうさせたのは、私だけれど……)
 誇らしさと自嘲がないまぜになった気持ちを口の中で噛み締めていると、弟たちの不満そうな声が飛んだ。
「えーっ、ずるいよ! 姉さんばっかり! もうちょっと訓練してくれたっていいでしょ!」
「……僕も、もう少し教えてほしいです」
「あらまぁ」
 弟たちがこんなことを言うのは初めてで、ジェラルディンは目を丸くした。
「あなたたちがサミュエルのことが好きなのは知っていたけれど……!」
 姉の口から言うのもなんだが、母が亡くなってその代わりをしてきたせいか、弟たちは少々姉バカなきらいがある。ジェラルディンにくっついて離れない雛のようなイメージといえばいいだろうか。そんな彼らがジェラルディンではなく、サミュエルに纏わりついて離れようとしないものだから、びっくりしてしまったのだ。
(姉離れの時が来たということかしら……?)
 なんだか寂しいような、ホッとするような不思議な心地である。
 ともあれ、これも成長の一過程だろう、とジェラルディンは微笑んだ。
「そうね、せっかくサミュエルがいるのだもの」
 そう言うと、腰を抱くサミュエルの手がピクリと動く。
「ジェリー……」
「ね、サミュエル。私のためにもどうかお願い。この子たちにもう少し、付き合ってやってはくれない?」
 手を合わせてニッコリと微笑めば、サミュエルは柔和な笑みを浮かべたまま小さく息をついて、ゆっくりと肩を上げた。
「……君のお願いには敵わないな。もちろんだよ」
 サミュエルの返事に、弟たちはパアッと顔を輝かせる。
 それを見て自分は屋敷の方に戻ろうとすると、サミュエルが腰を抱いていた腕に力を込めてジェラルディンを止めた。
 そして弟たちに「ちょっと待っていてくれ」と笑顔で言い置くと、妻を連れて少し離れた場所まで移動する。
「な、なあに? 何か話でも……」
「――あまり嫉妬させないで」
 低く艶やかな囁きに、思わずゾクリとしながら見上げると、サミュエルがじっとりと絡みつくような眼差しでこちらを見ていた。
「嫉妬って……誰に?」
「私はね、ジェリー。君が家族想いなことは知っている。だが、あまりに家族を優先して私を蔑ろにするのは感心しないな」
「な、蔑ろになんて……」
「ジェリー、今朝、修道院へ行く時、わざと私を起こさなかったね」
 立て続けに指摘され、ジェラルディンはギクリと身が強張ってしまった。
 確かに、サミュエルを起こさなかったのはわざとだ。
「だって、よく寝ていたから……」
 ゴニョゴニョと言い訳をすると、サミュエルが美しい青い目をスッと眇める。
「気分転換もいいけれど、あまり私を放っておくと、抑えが効かなくなってしまうよ」
 ジェラルディンにしか聞こえない小さな声でそう言い置くと、サミュエルは弟たちの方へ行ってしまう。
 その後ろ姿を見送りながら、ジェラルディンは臍を噛んだ。
(……サミュエルがいない時間に羽を伸ばそうと、密かに思っていたのがバレてしまっていたわね……)
 孤児院にノーラと二人だけで行ったのも、サミュエルから離れるためだ。
 夫のことは心から愛しているが、四六時中一緒にいるのは少々疲れる。サミュエルが仕事に行く間は自由にできるが、休みとなるとそうはいかない。実家に来れば家族の目もあるし少しは離れていてくれるかと思ったが、全くそんなことはなく、屋敷の中でも常に隣に貼り付かれるものだから、ちょっと気晴らしがしたくなってしまったのだ。
(……今夜が恐ろしいわ……)
 十数時間後に来る未来にゾッとしながらも、全ては自分の蒔いた種。
 ジェラルディンはため息をついて屋敷の中へ戻ったのだった。

 ――翌朝、ジェラルディンがベッドから起き上がれなかったのは、言うまでもない。

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