ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

女王陛下の誘惑

 フィオーナの妊娠が発覚してから一ヵ月が経った。
 時期からいって明らかに結婚する前に出来た子どもだったが、多少顔を顰められたくらいで、フィオーナはもちろん、アルヴァンもお咎めはなかった。
 フィオーナにとってもこの妊娠は驚きで、アルヴァンから渡されていた薬が避妊薬ではなかったと知ったときは腹も立てたが、愛する男性の子どもが出来たことは純粋に嬉しかったので、怒りは長続きしなかった。
 時々つわりで苦しめられはしたが、母子ともに健康で経過も良好だ。国民に向けての発表はまだだが、城中の人間が知っており、世継ぎ誕生の期待に沸いていた。
 フィオーナとしては五体満足で生まれてくれれば、男の子でも女の子でもどちらでも構わなかった。アルヴァンも同じ意見だ。
『あなたと私の子であれば、性別などどうでもいいんです』
 誰もが男の子を期待する中、フィオーナにとってこの言葉は何よりも心強いものだった。
『幸いこの国では女子にも王位継承権があります。この子が女子だったとしても国を治める気があれば任せればいいだけのことです。あなたは王位継承とか世継ぎのことなど気にせず、元気な子を産むことを考えてください』
 男子をとプレッシャーをかけられているのは王配である彼も同じなのに。けれど、彼はそんなことを微塵も感じさせず、ただただフィオーナを気遣ってくれる。
 愛する人と結ばれ、彼の子どもを身ごもり、愛情を得てフィオーナは幸せだった。
 けれど、今は少し不満なことがあった。妊娠が発覚してからパッタリとアルヴァンがフィオーナに手を出さなくなってしまったのだ。
 確かにつわりが酷い時期もあったし、具合が悪いときにアルヴァンを受け入れる余裕はなかった。
 けれど、彼が調合してくれたお茶のおかげでその後は体調も良好で、主治医からも性交を再開しても構わないとお墨付きも貰った。
 だから期待していたのに、アルヴァンは寝室もベッドも共にしていながらフィオーナにそういった目的で触れることはなかった。抱きしめ、キスをして、それで終わりだ。
 彼のぬくもりに包まれて眠るのは心地よかったが、体調が回復したフィオーナはそれだけでは物足りなくなってしまった。
 安定期に入って、性欲が増してきているのかもしれない。妊娠が分かるまで毎晩激しく愛され、それに慣らされてきた身にとっては辛く狂おしい夜が続いていた。
 もちろん、アルヴァンには主治医から許可がおりたことはすでに伝えてある。けれど、アルヴァンはフィオーナの頬にキスし、やさしく微笑みながらこう言ったのだった。
『もう少し様子をみましょう。安定期に入ったとはいえ、前よりかなり疲れやすくなってきているし、時々立ちくらみを起こしているの、知っていますよ』
 身体への気遣いを見せられては、フィオーナにそれ以上求めることはできなかった。
 どうにかして身体はもう大丈夫なのだと伝える方法はないだろうか?
 けれど、フィオーナは今までアルヴァンを誘ったことはなく、またその方法もよく分からなかった。
 恥をしのんで侍女のアーニャとニナに相談する。二人とも独身だがフィオーナには他にこんなことを気軽に相談できる相手はいなかった。
「既婚の友人に聞いたのですが、夫を誘うときはこれがいいと言ってました」
「これなら忍耐強い閣下だってイチコロですよ、姫様!」
 そう言ってアーニャとニナがフィオーナのために用意したのは、ほとんど肌が透けて見えてしまいそうな薄手の夜着だった。
 身につけたフィオーナは自分を見下ろして頬を染める。色づいた胸の先端が布を通してうっすらと見えているではないか。 助言に従いドロワーズすらも身につけていなかったため、脚の付け根からうっすら茂みまでもが透けて見えていた。
「こ、これはほとんど着てないも同然ではないかしら?」
 むしろ着ていない方がましかも知れない。それほど扇情的な服だった。
「それがいいんです! 大丈夫です。こんな姿の姫様を見たら、いくら閣下といえど我慢できるはずありませんから!」
 妙なニナの励ましを受けて、フィオーナは夫婦で使用している寝室で彼が帰ってくるのを待った。
 
 
 アルヴァンの仕事量は、実はフィオーナよりも多い。元来は国王がやるべきことを彼が肩代わりしているからだ。フィオーナも頑張ってはいるが、男性でなければできない公務は基本的に王配である彼に回ってくる。さらに宰相を兼任しているので仕事量は増える一方だ。
 その夜、アルヴァンが寝室に戻ったのはかなり遅い時間になってからだった。
 彼が帰ってくるのを待っていたフィオーナは、覚悟を決めてその扇情的な服でアルヴァンを出迎える。
「アルヴァン。お帰りなさい」
 アルヴァンは返事をすることなく、軽く目を見張りながらフィオーナの頭の上からつま先まで視線を這わせていく。
 フィオーナは恥ずかしさに頬を染めながら更に一歩近づいた。教えてもらったように手をのばし、アルヴァンの胸に手を置いて、身体をそっと寄り添わせた。腰がポイントなのだとニナたちは言っていた。
「アルヴァンが戻ってくるのをずっと待っていたのです」
 アルヴァンの下腹部に自分の腰を押し付ける。そうすることで奇しくも張り出した豊かな胸までもが彼のシャツ越しの胸に押し付けられることになった。
 更に自分の身体を押し付けようとしたそのとき、頭上から「はぁ……」という深いため息が聞こえた。
 次の瞬間、フィオーナは肩をつかまれ、アルヴァンの体から引き離されていた。
「まったく。アーニャとニナは何を考えているのか。こんな薄い服をあなたに着せて。風邪を引いたらどうするのです?」
 彼は厳しい声で言うなり、自分の上着をフィオーナの肩にかけて、ベッドに行くように促した。
「身体が冷えきってしまう前に、早くベッドにお入りなさい」
 フィオーナはうなだれた。まるで通じていない。……いや、通じていないのではなくて、はぐらかされたのだ。フィオーナはこの間から抱いていた不安が的中したと思った。
 聡いアルヴァンがフィオーナの行動の意味を読み違えるわけがない。分かっていながらフィオーナを拒否したのだ。
 じわりと目に涙が滲んでいく。
「さぁ、早くベッドに――」
 背中に手をあてて促すアルヴァンに、フィオーナはもう黙っていられなかった。
「そ、そんなに私の身体は醜いですか?」
 フィオーナは膨らみかかっているお腹に手を当てると、涙を湛えた瞳でアルヴァンを見上げた。
「抱く気にはなれないほど?」
「フィオーナ、一体何を言っているんです?」
 怪訝そうにアルヴァンは訊ねる。
「私があなたを醜く思うはずはありません。むしろ私の子を宿しているあなたは誰よりも神々しい、そう思っています」
「だったら、なぜ妊娠がわかってから抱いてくださらないんですか!」
 目からポロポロと涙を流しながらフィオーナはアルヴァンに詰め寄った。
「お腹が大きくなっていく私を醜いと思っているからではないのですか!」

 ――それは偶然の出来事だった。
 ニナと回廊を移動中、少し疲れを覚えたフィオーナは中庭のベンチで休憩を取っていた。そのときに、妊娠していると思しき女官姿の女性が同僚に涙ながらに訴えている場面に出くわしてしまったのだ。
 彼女たちは噴水を挟んだ向こう側にまさかフィオーナたちがいるとは夢にも思っていなかっただろう。もし知っていたら、同じく妊娠している彼女に配慮して決して口にしなかったに違いない。
 女官の夫はこの城に勤めている文官の一人らしい。その夫が女官の妊娠を機に冷たくなり、外で女性を作るようになってしまったというのだ。
 理由を問うと夫はこう言ったのだという。
『妊娠して腹が膨らんでいくお前は醜い。抱く気にならないから』だと。
 フィオーナは最初、その無神経で冷淡な夫に憤慨していたが、やがて妊娠をしているのは自分も同じだと気付いてどんどん不安になっていった。
 もちろん、アルヴァンはフィオーナにはとても優しい。いつでも体調を気遣ってくれる。
 けれど、妊娠が発覚して以来、彼女を抱こうとはしないのもまた確かだった。それはフィオーナの体調を気遣ってくれているからだと思っていたが、もしかしたら妊娠した女性を抱く気になれないだけではないのか?
『まさか閣下に限ってそれはありません!』
 ニナは否定したが、その疑念はずっとフィオーナの中にくすぶり続けていた。

「バカな」
 アルヴァンは盛大に顔を顰めると、フィオーナを胸に引き寄せた。
「私の子を宿して日々女性として母親として花開いていくあなたを醜く思う? 抱く気になれない? そんなバカなことがあるものですか」
 そう言ってアルヴァンは自分の腰をフィオーナの腰に押し付けた。トラウザーズの前を押し上げる膨らんだ雄の象徴が薄い夜着を通して感じられた。かぁっとフィオーナの頬が赤く染まる。
「これでも、抱く気がないとあなたはおっしゃるのですか?」
「で、でも、だったらどうして……?」
 フィオーナはアルヴァンの身体にすがり付くようにして訊ねた。アルヴァンはふぅとため息をついて自嘲する。
「あなたを抱いていると、私は我を忘れて手加減できなくなるんです。それはもうあなたも薄々分かってきているんじゃないですか?」
 確かにアルヴァンの抱き方は涼やかな外見に反して時々とても激しいものになる。
「身ごもったあなた相手に我を忘れてしまえば子どもも危険に晒してしまう。だからあなたの体調が整い安定するまで自重していたんです。決して妊娠したあなたの身体が醜いと思ったからではありません」
 ……その言葉は信じられた。何よりもアルヴァン自身の身体が、フィオーナに欲望を感じていることを明らかに示していたからだ。
「だったら、自重などしないで下さい」
 フィオーナはめまいがするほどの歓喜に包まれながらアルヴァンの胸に囁いた。
「少しくらい激しくても私は平気です。おなかの子も大丈夫。主治医の先生は太鼓判を押してくれているし、むしろ母親が父親に深く愛されていると感じる方がこの子のためにはいいと思うの」
「フィオーナ」
「抱いてください、アルヴァン」
 そう言ってフィオーナはアルヴァンに抱きつき、自分の身体をぎゅっと押し付けて腰を淫らに揺らした。彼の官能を掻きたてるように。
 アルヴァンがふっと笑った。
「私を誘っているのですか、フィオーナ? こんなイヤらしい服まで着て」
 手を伸ばし、フィオーナの丸いお尻を掴んで更に自分の腰を押し付けた。ドクンと薄い布越しにアルヴァンの欲望が脈打ち更に膨らんでいくのを感じてフィオーナは笑みを浮かべた。
 艶やかかで淫靡な笑みを。
「そうよ、あなたを誘惑しているのです」
 アルヴァンは破顔した。
「女王陛下の誘惑には逆らえません。その誘い、お受けしましょう」
 彼はフィオーナを抱き上げると、ベッドに向かって行く。


 ――それから約五ヵ月後。オクロット中に王子誕生の報せが届くのだった。

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