ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

月の夜に

 あれからどれだけの時が過ぎただろう。
 いくつもの季節が移り変わる中で、幾夜彼に抱かれて眠ったか。
 気がつけば、傍にいることが当たり前になっていた――。

 夜空に桜の花びらが舞っていた。
 まん丸い月が綺麗で、今なら手を伸ばせば届く気がした。指先についた水滴が月明かりを纏ってキラキラと輝いている。刹那の宝石の明媚さに白菊はうっとりと目を細めた。
「何をしてるんだ?」
 頭のすぐ上からくすくすと笑う声がして、伸ばした手が莉汪に掴まれた。白菊のものよりもひと回り大きい男の人の手は、ひとたび色香を孕めば巧みに白菊を快楽へと誘う。
「月がね、綺麗だなと思って」
 莉汪の腕からしたたり落ちた乳白色の水滴が、ちゃぷんと水面に落ちた。
 旅の疲れを癒やそうと立ち寄った温泉は人里離れた場所にあるせいか、自分達以外は誰もいない。それをいいことに、莉汪はさっさと自分と白菊の着衣を剥ぐと、白菊を抱えて湯に浸かってしまった。ただでさえ裸体で湯に浸かることに慣れていないのに、野外で肌を晒すことには抵抗がある。なのに、莉汪ときたら爪を立てて引っ掻かれようが、拳で叩かれようがまったく動じない。それどころか、「そんなにじゃれつくな」と喜んでいた。
 まったく、どうしたらそんな解釈になるのか。
 つくづく痛みに鈍い莉汪が恨めしくなる。
 莉汪は白菊を抱きこんだまま「あぁ」と相槌を打ち、空を見上げた。
「今夜は満月か、これは美しいな」
「でしょう。こうしていると本当に手が届くような気になるの」
 ありえないたとえ話に含み笑いをして、白菊はそっと莉汪の体に頭をもたせ掛けた。
「夢みたいね……」
 この言葉をもう何度口にしたか分からない。
「でも現実だ。お前が生きていてくれて本当によかった」
「――うん」
 けれど、そのために大勢の命を犠牲にした。時視の巫女も実の母だった藤江も、みんな死んでしまった。
 後悔に苛まれないといえば嘘になる。思い出せばいつも心は痛んだ。
 流れてしまった過去は変えられない。
 それでも、思ってしまう。自分が臆病だったばかりに傍にいてくれた人を傷つけたことを。
 不幸なことにだけに目がいっていたあの頃、白菊は最後まで藤江の心に気づくことができなかった。
 土の中から助け出された後、白菊は莉汪からすべてを聞いた。時視の巫女はあの場で九竜川の濁流に呑まれ、藤江も氾濫に巻き込まれ命を落としたそうだ。
 莉汪は藤江が白菊の実の母であることを知っていた。ならば、藤江が最後まで母と名乗らなかった理由も知っているのかと思ったが、死者の“時”までは渡れないと言われた。が、聞いたそれらがすべて真でないことは、何となく分かった。けれど、あえて気づかないふりをした。当時はあれほど真実を知りたいと願っていたのに、今は彼が伏せた事実を掘り起こそうという気にはならない。嘘をない交ぜにした過去があってもいいのではないか。最近はそんなふうに思えるようになった。
 なぜなら、白菊にとって莉汪と共に生きる“今”の時の方がよほど大切だからだ。
 莉汪と共に生きるようになって、白菊は変わった。
 おもむろに莉汪を見上げる。秀麗な美貌を空いている方の手でそっと撫でた。優しい眼差しを感じながら、顎の先に口づける。
「――愛らしい真似を」
 莉汪がくれる愛情のおかげで、白菊は以前よりも素直になれるようになった。愛おしい人を慈しむことも、彼と生きられることの尊さも、全部莉汪が教えてくれた。
(もう莉汪がいなければ生きていけない……)
 この手にあるものを失いたくなかった。
 心いっぱいに幸福感が満ちている。愛おしすぎて涙が出てきた。
「莉汪……」
 握られたままの手の指を絡め合い、握り合う。重ねた唇の感触に全身が安堵を覚えた。彼の温もりに包まれている時が一番落ち着く。
 白菊は唇を啄むだけの口づけを何度も繰り返し、ゆっくりと唇を放した。ほうっと吐息をつくと、莉汪が額に口づけ、彼もまた息をついた。
「あ――……、駄目だ。待てそうにない」
 何が、と思った時には、乳房が莉汪の手に包まれていた。躊躇なく揉みしだかれ、甘美な刺激が湧き上がる。
「ぁ……ッ」
「今すぐ抱かせて」
 耳元で囁かれた不埒なおねだりにぎょっとして、慌てて莉汪から離れようともがいた。「駄目よっ、誰かに見られたらどうするの!?」
「誰もいないよ」
「そんなこと分からない……って、莉汪!」
 抵抗するも、莉汪はまったく意に介していない。迂闊だった。ただこみ上げる愛おしさを伝えたかっただけなのに、それが彼の欲望に火をつけてしまったらしい。
「莉汪、駄目よ! は、恥ずかしいのっ」
「今更? この体を俺がどれだけ愛でたと思うの? 撫でて、舐めて、もう俺が触れていないところなんてないよ」
 悪戯っぽく笑い、どんどん手を滑らせていく。わき腹をなぞり、腹部を撫で、内股を愛おしげに摩ってくる。
「そ……そういう意味ではなくてっ。莉汪は人に見られて平気でも私は気になるの!」
 むきになると、莉汪は「仕方ないなぁ」と苦笑して体を離した。
 ほっとしたのもつかの間、突然湯から体を引き出される。
「きゃ……ッ」
 そうして、岩場に降ろされた。莉汪はまだ湯に浸かったままだ。いったいこれのどこか「仕方なく」出した答えなのか。
 ほぼ丸見え状態にされて湯で温まった体以上に頬が熱くなる。莉汪はご満悦な顔で白菊の前を陣取っている。身の危険を感じて、咄嗟に両手を胸の前で交差して乳房を隠した。
「顔まで真っ赤になってる」
 愛らしい、と呟いた莉汪が早速顔を寄せてきた。
(やっぱり――ッ!)
「駄目だったら! 莉汪、人が……っ」
「来ないよ」
「でも、つ……月が。月は見てるわ!」
「――は?」
 嬉々としながら口づけようとしていた莉汪が、ぴたりと止まった。
「……これまた風流なことを言うね。それで、白菊は月に見られていると恥ずかしいんだ」
 止まった愛撫に白菊はここぞとばかりに頷いた。この際、莉汪がやめてくれるなら見ている相手は誰でもいいのだ。
 が、莉汪の思考は常に白菊の斜め上を走っている。
「本当に月が見ているか、確かめさせて」
 嘯き、指が内股を撫で上げる。勝手知ったるとでもいうように、秘部の割れ目をくすぐり、媚肉を優しく引っ掻いた。
「……ぁ、な……んでっ。私、やめて……って」
「たくさん溢れてるこれは、何だろうな?」
 くち、と粘り気のある水音が響いた。指の先端が蜜口で蠢いている。
「月に見られて感じた?」
「や――っ」
「嫌? こうされるのが? それとも月に見られてるのが?」
 問いかけながら、指がゆるゆると奥まで侵入してきた。一度目は一本、二度目は二本。難なく受け入れられた場所は早くも莉汪の指に刺激され、ひくついていた。
「いやらしくなったものだ」
「誰……の、せい……よ」
「俺以外、誰がいるんだ?」
「――あぁッ!!」
 ずぶり、と三本目が埋められ、走った刺激に背中が戦慄いた。
「本当に駄目……、我慢できなくな……る」
「愛らしいことも言えるようになって。あぁ、早く孕めばいいのに」
 じゅぶじゅぶ、と湯が波立つ音とは違う粘着質な水音が鼓膜を震わす。莉汪の指が生み出す悦楽に白菊は腰を揺らめかせて悶えた。ひっきりなしに唇から零れる吐息を手で塞ぎ、反対の手で莉汪の肩に爪を立てた。
「……これだけで頭の中が溶けそうだ」
 かすれた低音が耳元で囁く。耳殻に触れた唇の感触にすら白菊の体は過敏に反応した。
「いつまでも初心な体だな。……でも、あまり俺を急かしてくれるな」
「そんなことして……ない」
「どうだか」
「ひ……ぁ、あ……ッ」
 莉汪の手で開かれた体は、どこまでも彼がくれる快楽に従順だった。蕩けた蜜壺は三本の指を咥えながらも、灼熱の楔を欲して切ないと訴えている。
「駄目……莉汪、駄目……よ。声……が」
「聞かせてやればいい。そうしたら月も雲の狭間に隠れてくれるさ」
「だ……め、それ激し……っ」
 早くなった指の動きに、白菊が喘ぐ。上気した頬を莉汪の赤い舌がぺろりと舐めた。
「俺の愛しい子。お前はどこもかしこも甘くて美味い」
「り……おう」
「もっと俺に溺れればいい。その目は俺だけを映していて」
「ん……っ」
 掬い上げられるように口づけられる。口腔を貪られる舌遣いを夢中になって真似た。
 もっと確かな存在が欲しい――。
 きゅうっと莉汪の指を締めつけ、愛欲に潤んだ目で莉汪を見つめた。彼もまた青い目に欲情を宿し、蠱惑的な色香を漂わせている。
「“時”を視たよ」
 中を掻き回しながら、莉汪は“時”を語った。
「愛らしい女の子と歩き始めたばかりの青い目を持つ男の童子がいた。二人は母親に手を引かれ、嬉しそうに桜並木を歩いていたよ。すぐ脇には一面の菜の花畑が広がっていた。やがて女の子が遠くからやってくる牛車に気づき駆け出すと、男の童子も後を追った。三人に気づいて、牛車から男が降りてきた。二人は彼を「父様」と呼んでいた」
「や……、ぁ……ん。誰の……“時”な……の?」
 快感に半分意識を持っていかれている白菊の耳には、彼の紡ぐ“時”の内容もまともに届いていなかった。
 莉汪がうっとりと目を細め囁いた。
「もうすぐ桃源郷にたどり着くよ」
「莉、汪……?」
「おいで」
 腕を引かれ、ゆっくりと湯船に引き戻された。莉汪に跨る恰好のまま、怒張した屹立が蜜口に押し当てられる。ゆっくりと中へ沈んでいく質量に「あぁ……」と吐息が零れた。
 莉汪が白菊をゆるり、ゆるりと揺さぶり出す。白菊は莉汪の首に腕を絡め、穿たれる悦びに打ち震えた。
 白い水面が二人を基軸に波紋で揺れている。
 それは月だけが知る秘め事――。

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