ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

世界で一番苦手なもの

「レイリア、分かっているわよね?」
十八歳になったばかりのレイリアに、一番目の姉が言った。
「ええ。分かっているわ」
 答えながら、遠い昔に同じような会話をしたことを思い出す。
 あの時は意味なんて深く考えずに頷いていたが、今はきちんと理解していた。
「お姉ちゃんたちの言うことは?」
 二番目の姉がその言葉を口にした瞬間、レイリアは間髪をいれずに答える。
「絶対!」
 これも何度言わされたことか。反射的に答えてしまう自分が恐ろしい。
 たとえ彼女たちの言い分が理不尽でも、その通りにしなければならない。幼い頃に植え付けられた上下関係は、成長た今もしっかりと身に沁みついているのだ。
 一番目の姉に髪を結ってもらっている最中なので、レイリアは動かないようにじっとしているのだが、八人の姉たちは後ろや脇から次々に話しかけてきた。
「何度も言うけれど、主導権を握るのが大事だって散々教えたわよね? 本当にちゃんと理解しているの?」
「男はね、自尊心をくすぐるようなことを言っておけば扱いやすいのよ」
「そうね。『頼りになる』とか『尊敬しちゃう』とか言えば、なんでも買ってくれるわ」
「あくまでも自然に、よ。それと、自分が知っていることでも知らないふりをしてあげるのも大事だわ」
「そして褒める。褒めて褒めて褒めちぎって、持ち上げていれば大抵のことは許してくれるわ」
「とにかく、でしゃばらずに夫を手のひらの上で転がすのが良妻賢母よ。レイリアもウィルフレッドと言い合ってばかりじゃダメなの。一歩引くのよ」
「甘えてみるのもいいわ。男は甘えられると弱い生きものよ」
「首を傾げて上目遣いで……そうそう。それで『お願い』って可愛く言えばいいわ」
 一番目の姉の手によって髪が綺麗に結い上げられると、八番目の姉が髪飾りの位置を調整しながら、レイリアの首を傾げさせた。そして上目遣いのおねだりの練習をさせられる。
 鏡に映る自分は、おねだりをしているというより、首を痛めているようにしか見えない。
 レイリアは、着飾った自分の姿を改めて眺めた。
 白いドレスは丁寧な刺繍が施され、末広がりの裾は計算されたように綺麗なラインを作り出している。姉の手によって複雑に編み込まれた髪の毛は花の髪飾りで彩られ、首や耳には宝飾品が輝いていた。
「あら、いいじゃない。ウィルフレッドが揃えてくれたドレスと花飾り。素敵だわ」
「アクセサリーもすべてウィルフレッドが選んだんでしょう? すごいじゃない」
 両脇から顔を出した三番目と四番目の姉が、瞳をキラキラさせてレイリアの全身に視線を走らせた。
 すると、五番目六番目七番目八番目の姉たちが、一斉に話し出す。
「ドレスもアクセサリーも高そうだわ。いったいいくらかかったのかしら」
「ウィルフレッドは、昔からレイリアには甘かったわよね。きっとすごい額よ」
「レイリアがこんなに綺麗になるなんて……馬子にも衣裳ね」
「こんなに綺麗になったレイリアを見たら、ウィルフレッド泣いちゃうんじゃないかしら?」
 姉たちは褒めているようないないような微妙な言葉をかけてくれるが、レイリアよりも彼女たちのほうが目立っていた。
 色とりどりのドレスに、控えめだけど煌びやかな髪飾り、そしてなにより、誰もが振り返る美しい容姿。
 主役より目立つなと言っても、彼女たちには通じない。むしろ、『私たちより目立たないあなたが悪いのよ』と言ってくるだろう。
 天性の華というものはどうやっても手に入れられないが、衣装と化粧で女はいくらでも華やかになれる。……はずなのに、彼女たちに囲まれていると、いくら着飾っても霞んで見えてしまう。
 今日は、レイリアの晴れの舞台だ。
 それなのに、主役のはずの自分が一番地味なのはなぜなのか……。
 レイリアは、ため息を吐きたくなるのをぐっと我慢し、自分たちのあげた結婚式の費用の話で盛り上がる姉たちの輪から抜け出した。
 姉たちの壁でまったく気が付かなかったが、部屋の隅にはレイリアの兄であるキーファが所在なげに佇んでいた。
 レイリアは笑顔でキーファに近づき、暇そうな彼を見て、あることに気づいてしまう。
「キーファ、仕事は? 忙しいんじゃないの?」
 恐る恐る問うと、キーファは苦笑した。
 いくらレイリアの晴れの舞台だとしても、仕事人間のキーファがこんなふうにぼんやりと一処に留まっているのはおかしい。
 現に、父は仕事先から駆け付けると言って、いまだに会場に姿を見せていない。
 数ヶ月前から、キーファの疲れた顔をよく見るようになったが、仕事が忙しいせいだと思っていた。けれど違ったのだろうか。
 キーファはレイリアを安心させるように、柔らかな笑みを浮かべた。
「今日は式の時間まで商談の予定だったんだけど、急に断られてね。だから、記念すべき日のリアをずっと見守っていられるよ」
「断られたって……この間もそんなことを言っていたじゃない」
 以前も、急に仕事がキャンセルになったと言ってキーファは家に帰って来た。そんなことばかり続いているような気がする。
 キーファが一緒にいてくれるのは嬉しいが、仕事がうまくいっていないせいでここにいるのだとしたら、なんだか切ない。
「……自業自得なんだ」
 ぽつりと言って、キーファはレイリアの頬を両手で包んだ。そして、すっと目を細める。
「ごめんな、リア」
 突然の謝罪に、レイリアはきょとんとした。
「え? ……もしかして、私が隠していたお菓子を食べちゃったの?」
 それは許せないわよ? と続けると、キーファは首を振って否定した。けれど、口を開こうとしない。
 結局、理由は言ってくれなかった。
 すぐに姉たちがきゃーきゃーと騒ぎながらレイリアを囲んだので、お菓子が無事ならいいか……と、レイリアはすぐにそのやり取りを忘れてしまったのだった。


* * *


「ウィルフレッドが来たわ!」
「旦那様の登場よ!」
 レイリアの控室の扉を開けた瞬間、ウィルフレッドはその扉をすぐさま閉めてしまいたくなった。
 女が八人も同時にきゃーきゃーと騒ぐのは、騒音以外の何ものでもない。
 ウィルフレッドは、踵を返したくなるのをぐっと堪え、胸を張って彼女たちに向かって行った。
「ご無沙汰しております。お義姉様方」
 にっこりと余所行きの笑みを浮かべ、八人の美女に挨拶する。すると彼女たちは、にんまりと笑った。
 そして体をさっと引き、ウィルフレッドのための道をつくってくれた。
 両脇に美女が並ぶ道の先を見て、ウィルフレッドは大きく目を見開いて固まった。
「…………」
 時間が止まったような気がした。長い間、ウィルフレッドはぴくりとも動かず、ただただ目に映るものを凝視する。
「何よ?」
 ウィルフレッドの目線の先で、この世のものとは思えないほど可憐な生きものが声を上げた。鈴のなるようなその声も、いつもの数十倍愛らしい。
「……ウィル?」
 可憐な生きものは、ウィルフレッドの名を呼んだ。それでもまだ、ウィルフレッドの体は動かない。
「ウィルフレッドったら、綺麗になったレイリアを見て硬直しているわ」
「私たちのことなんて目に入っていないんでしょうね」
「そのうち泣き出すんじゃないかしら」
「レイリアの可憐さに号泣するんだわ」
「ここまで感激してくれるなんて、レイリアが羨ましいわ」
 義姉たちがひそひそと囁いているのが聞こえる。正直に言ってしまえば、誰が何番目の義姉か、どの声が誰か、ウィルフレッドには分からなかった。
 昔からウィルフレッドにはレイリアしか見えていないからだ。
 今もウィルフレッドの瞳には、可憐なレイリアの姿しか映っていない。
 特注で作らせた清楚で繊細なドレスも、上品な髪飾りも、派手過ぎない装飾品も、すべてがレイリアの可愛らしさを引き立たせてくれている。
 この世で一番美しいのも可愛いのも可憐なのもレイリアだ。こんなに素晴らしい彼女の姿を他人の目に晒したくないと思うほどだ。
「リア……」
 少し離れた場所から心配そうに自分を見ているレイリアに、ウィルフレッドはやっと声をかけた。
 けれど『綺麗だ』と続けるはずだった言葉は、発する前にさえぎられた。
「ウィルフレッド、ちょっとこっちにいらっしゃい」
 猫なで声の義姉が、ウィルフレッドに向かってちょいちょいと手招きをした。
「え……」
 すごく嫌だ。
 今からレイリアに甘い言葉を浴びせ、羞恥で涙目になる様を見たいのに。なぜ悪魔の巣窟へと行かねばならないのか。
 そう思うのに、体は勝手に義姉たちに近づいて行った。
 幼少期のトラウマのせいで、彼女たちを拒否すれば痛い目をみると本能が判断したからだ。
 義姉たちはウィルフレッドを囲み、ひそひそと話し始めた。
「あなたがこうしてレイリアと結婚できるのは、私たちのおかげでしょう?」
「そうよね。私たちがレイリアに言い聞かせたから、ウィルフレッド以外の男に興味を示さないのよ」
「あなた、ちゃんとわたしたちに感謝している?」
 迫力のある美女たちが、悪魔の微笑みを向けてくる。
「それはもちろん……」
 頷くと、間髪をいれずに、残った悪魔たちが話し出した。
「私たち、あなたがレイリアを好きなことを知っていたから、協力してあげたのよ」
「そうよ。あなた、レイリア以外の女性には愛想笑いしかしないんだもの。レイリア以外と結婚なんてできるわけないわよね。私たち、レイリアだけじゃなく、あなたの心配もしていたのよ」
「初恋の人と結婚だなんて素敵じゃない。レイリアの初恋もウィルフレッドだし。二人とも、初恋が実ってよかったわね」
「それもこれも、全部私たちのおかげよねぇ?」
「レイリアが他の男を選ばなかったのは、私たちがいたからよねぇ?」
 たたみかけるように言われ、ウィルフレッドは彼女たちが何を言いたいのか理解した。
 早くここから解放されたいという思いを隠し、ウィルフレッドは彼女たちひとりひとりを見つめる。
「お義姉様方には心から感謝しております。後ほど、お望みの物を贈らせていただきますね」
 ウィルフレッドの言葉に、義姉たちは満足そうに頷いた。
 ――この人たちのことは、世界で一番苦手だ……。
 ウィルフレッドは、心の中で大きなため息を吐き出し、顔には愛想笑いを浮かべた。
「ウィル、そろそろ式が始まるって」
 義姉たちの壁の間から、ひょっこりとレイリアが顔を出した。
 彼女の顔を見ただけで、鬱屈としていた気分が一瞬にして晴れるのが分かる。
 いつもそうだ。レイリアは暗闇からウィルフレッドを救い出してくれる。
 レイリアはウィルフレッドにとって、自分を光の世界に繋ぎとめてくれる存在だ。
「行こう、リア」
 ウィルフレッドは、再度道をつくってくれた義姉たちの間を縫い、レイリアに腕を差し出す。
 レイリアの小さな手が、ウィルフレッドの腕をそっと掴んだ。本気で握れば折れてしまいそうな華奢な手だ。こんなに細い指で、彼女はしっかりとウィルフレッドをこの世界に留めてくれる。
「リア……綺麗だよ」
 先ほど言えなかった言葉を口にすると、レイリアの顔は真っ赤に染まった。瞳がうっすらと潤む。
 レイリアの涙を見るとむらっとするが、今は我慢だ。
 ウィルフレッドは、末っ子の晴れの姿を嬉しそうに見守る八人の義姉たちを流し見た後、端っこで居心地悪そうにしているキーファに視線を移した。
『もう許してやる』
 口の動きだけでそう伝えると、キーファは小さく笑った。
 仕事の邪魔をしてやる、という言葉を有言実行したウィルフレッドのせいで、ここ数ヶ月のキーファは大変だったはずだ。仕事がうまくいかず、その尻拭いに追われ、疲労困憊になっただろう。
 それも今日で終わりだ。
 キーファを許そう。
 なにせ、今日からのレイリアは、ウィルフレッドだけのレイリアだ。
「今夜は、料理じゃなくて俺を食えよ」
 にやりと笑ってレイリアを見下ろせば、彼女は頬を染める……ことはせず、「まずは料理を食べさせて」と本気の顔で訴えてきた。
 それを聞いた義姉たちから「そこは嘘でも頷くのよ」というレイリアに対するダメ出しが八人分向けられたが、敢えて聞こえなかったふりをする。
 レイリアと結婚することによって、苦手な彼女たちが義姉になるのは歓迎したくないが、この先ずっとレイリアと一緒にいられるのだと思えば我慢できる。
 ウィルフレッドは、レイリアさえ一緒にいてくれればそれだけで幸せなのだから。
 ずっと、ずっと一緒に。死ぬまでずっと――幸せであるために。
 とりあえず今は……と、ウィルフレッドはポケットに忍ばせていた飴を取り出し、レイリアの口に放り込んだのだった。

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