ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

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英雄は大人げなく嫉妬する

 英雄と呼ばれ、国中の騎士や女性たちからの憧れを一身に集める男、オーウェン=ブラッドは今、情けなくも一冊の『本』に嫉妬していた。
「ああ、私はなんて幸せ者なのかしら。『女盗賊フェデーナ』の続きが出版されただなんて嘘みたい!」
 いつになく可愛らしい笑顔ではしゃいでいるのは、一月ほど前に晴れて恋人となったルイーズだ。
 長い片思いと残念な求愛を重ねてようやく結ばれた彼女と、オーウェンは今デートの途中なのである。
 彼女が前々から来てみたいと言っていた、どちらかと言えば男臭い大衆食堂で、二人は食前酒をたしなんでいるのだが、彼女は先日手に入れたばかりの本について語るのに夢中だ。
 彼女の本に対する情熱は今に始まったことではないし、むしろ本のことを嬉々として語る彼女がオーウェンは好きだ。
 だが問題は、彼女が今興奮している理由が、本の内容だけではないことだ。
「その上、続編を手がけたのがあのシェリダ様だなんて、すごいわよねぇ」
 ルイーズが口にするシェリダ様とは、世間を賑わせている大人気の作家の愛称だ。
 主に恋愛小説を多く手がけた作家で、彼の繊細な心理描写には定評があり、特に女性からの評価が高い。
その上彼は舞台俳優にも引けを取らない美青年らしく、サイン会が開かれるとなればイルヴェーザ国中から女性ファンが押し寄せるという人気ぶりなのだ。
 そのシェリダが初めて手がけた児童書が、ルイーズの愛読書である『女盗賊フェデーナ』の続編なのである。
 なんでもフェデーナの元々の作者は彼の父親だそうで、未完で終わっている話をそのままにするのを忍びなく思ったシェリダが続編の執筆を申し出たらしい。
「お父様の意志を継ぐなんて、本当に立派よねぇ。文体も内容も、それまでの作品の流れをちゃんと受け継いでるし、なおかつフェデーナの心情描写がすごく丁寧で、甘酸っぱい気持ちになるの!」
 長年待ちわびた作品の新刊に、ルイーズは興奮冷めやらぬといった様子だ。
 その様子もやはり可愛い、とルイーズに惚れ込んだオーウェンは思うのだが、一方では納得のいかないことがある。
(気持ちはわかるが、一体いつになったら本ではなく俺の手を握ってくれるんだ!!)
 ルイーズの手が撫でているのは、オーウェンに見せるためにともってきた『女盗賊フェデーナ』の続編だ。
 その本は王都で書店を営む彼女の叔父がわざわざ送ってきたもので、本の表紙には先ほどから話題に上がっているシェリダのサインが入っている。それも「ルイーズさんへ愛を込めて」というメッセージ入りだ。
 その文字をルイーズが指で撫でるたび、オーウェンはつい苛立ちを感じてしまうのだ。
 ルイーズとシェリダは赤の他人だと分かっているけれど、会話に挟まれる褒め言葉に、彼の心はかき乱される。
 いい年をした大人が情けないとは思うが、彼女の心が自分以外の誰かに向いていると思うだけで、落ち着かなくなってしまうのだから仕方がない。
「それでね、実は叔父さんが今度シェリダ様にあわせてくれるっていうの」
「な、に……?」
「もう続編も決まってて、その出版に合わせて叔父さんの書店でサイン会を――――」
「だめだ、絶対だめだ!」
 ずっと堪えてきたのに、気がつけば立ち上がってそう叫んでいた。
 今更のように大人げない自分に赤面したが、口に出してしまった言葉は取り消せない。
(こうなったら、素直になろう。どうせ、大人げない姿はさんざん見せてきたんだし……)
 今更、嫉妬を隠しておく必要はないだろうと開き直り、オーウェンは咳払いをしながら椅子に座る。
「サイン会には、行かないで欲しい」
 自分でも驚くほど情けない声で言うと、ルイーズは僅かに首を傾げた。
「理由を聞いても言い?」
「俺が、死ぬからだ」
「えっ、死ぬ?」
「嫉妬で死ぬ。絶対に死ぬ」
 むしろ既に死にそうだとは言わなかったけれど、ルイーズの手のひらがオーウェンの手を握ってくれたところを見ると、彼の複雑な心情を察してくれたらしい。
「一応言っておくけど、シェリダ様とは赤の他人よ?」
「わかっているが、君に愛しているというメッセージを書くような男とは会わせたくない」
「これ、社交辞令のメッセージよ。彼のサイン本には、絶対書いてあるそうだし、他の作家だってだいたいそうじゃない?」
「それでも、会えば本気にするかもしれない」
 何せルイーズは、街を歩けばほとんどの男が振り返るような美女なのだ。そんな彼女が笑顔で『あなたのファンです』なんて言ったら、シェリダものぼせ上がってしまうかもしれない。
「目の前で君に色目でも使ったら、著名な作家であることを忘れて殴り飛ばす自信がある」
「サイン会、一緒に行く気だったのね」
「えっ、一人で行くつもりだったのか?」
 思わず聞き返してから、そもそも開催時期をまだ聞いていないと気づいた。でももし予定が入っていても、その日は絶対ルイーズから離れてやるものかとオーウェンは決意する。
 するとそのとき、オーウェンを見つめていたルイーズが、なぜだか少し嬉しそうな顔で口元を押さえた。
「安心して、そこまで言うなら行かないわ」
「本当か!?」
「ええ。それに、そもそもサイン会に呼ばれたって話は嘘だし」
「えっ?」
 間抜けな声が口からこぼれたとたん、ルイーズがいたずらっ子を思わせる笑みを浮かべる。
「安心して、シェリダ様に会う予定はないから」
「でも、ならどうして……」
「嫉妬して欲しかったのよ。まさか、こんなに過剰反応されるとは思わなかったけど」
 それからルイーズは、そっと声を潜める。
「嘘ついてごめんね。でも、ちょっと悔しいことがあったからつい」
「悔しいこと?」
「オーウェン、最近新しく手に入れた人形ばっかり構っていたでしょう? だからその、私ちょっと拗ねてたの」
 ルイーズの言葉に、オーウェンは先週のデートを思い出す。
 先週は、エルマーナ社が出した新作のビスクドール『キキちゃん』を幸運にも発売日に入手できた喜びのあまり、今日とは逆にオーウェンが人形について熱く語っていた。
 その上キキちゃんを彼女の家まで持っていき、ささやかなお茶会ごっこにまで、ルイーズを付き合わせてしまったのだ。
「キキちゃんキキちゃんってはしゃいでるのが、ちょっと面白くなくて」
「それなら、そうと言えばいいのに」
「何か恥ずかしかったの。相手は人形だし」
「俺なんて、本に嫉妬していたぞ」
 表紙よりも俺を撫でて欲しいと思っていたことを白状すれば、ルイーズは小さく吹き出す。
「私たち、何だか大人げないわね」
「でも、嬉しいよ」
 思いを重ね、恋人となった今も、正直オーウェンは不安だった。
 英雄とは呼ばれているが、その肩書きを取り払えば、オーウェンはただの人形好きの変態だ。
 ルイーズに会うまでは人間の女性を愛する日が来るなんて思っていなかったし、死ぬときは人形たちと墓に入るのだろうとさえ思っていたのだ。
 そんな彼のアプローチは魅力的とはいえず、ルイーズには何度も拒絶され、顔を見たくないと言われた日さえあった。
「ルイーズが嫉妬してくれる日が来るなんて、夢みたいだ」
「大げさね。それに私、こうみえて結構嫉妬してるわよ」
「是非、詳しく聞きたい!」
 思わず身を乗り出せば、ルイーズは苦笑しながらオーウェンの顔を手のひらで優しく押しのける。
「恥ずかしいし、二人きりのときね」
「なら、二人きりになれる場所に行こうか」
 押し戻されてもめげずに距離を詰めれば、ルイーズは呆れたような顔をする。
「オーウェンって、基本残念なのに時々すっごい甘い声が出るわよね」
「甘い声を出すのは、一応得意だ」
「その割には、時々しか聞かないわよ」
「ルイーズの前だと、愛おしさが溢れすぎて残念になるんだ」
「……それって、大丈夫なの?」
 一種の病気なんじゃないかと本気で心配するルイーズに、オーウェンは大丈夫だと笑顔を返す。
 たしかに自分が患っているのはやっかいな病気かもしれないが、今はルイーズという特効薬があるのだ。
「むしろ、もっと残念になりたいくらいだ」
「そこまで言うなんて、やっぱり大丈夫じゃないと思うわ」
 そう言って苦笑しながらも、柔らかな声はオーウェンへの愛おしさに溢れている。
 それを聞いただけで身悶えするほどだから、愛おしいルイーズを前にするたび、きっと今後もオーウェンは普通ではいられない。
 本にだって嫉妬するし、今度はもっとくだらないものに敵意をむき出しにするかもしれない。
「まあでも、オーウェンの残念なところ、嫌いじゃないけどね」
 けれどこうやってルイーズが微笑んでくれるなら、残念なままでいるのも悪くないと、オーウェンは思うのだった。


【了】

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