ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

騎士たちの嘆き

 騎士の控え室に入ろうとしたディケン・レイノルズは、ちょうど部屋から出てこようとしている同僚に出くわした。
「お、カストル。これから休みか?」
 ディケンが声をかけると、カストルは大きく頷いた。
「ああ、ようやく休日だ。一度城に戻って着替えてから街に降りようと思っている。ディケンはこれから仕事か?」
「ああ、昨日丸一日休ませてもらったからな。今日から気持ちも新たに頑張るさ。ところで殿下は今どうなさってる?」
 ともにグレーフェン騎士団に所属する二人の今の任務はブラーシュ侯爵邸の警備だ。いや、正確に言えばブラーシュ侯爵夫人の警護である。
 騎士団の役目は王城の警備と王族の警護であるため、本来ならば一貴族の屋敷や個人を守ることはないが、ブラーシュ侯爵夫人は別だ。
 ブラーシュ侯爵夫人であるミュリエルはこの国の第五王女で、とある特殊な事情で厳重な警護を必要としている。ディケンやカストルをはじめとする騎士たちは国王の命令により、ミュリエルを脅威から守るために城を離れてここにいるのだ。
「殿下ならさっきまで副総長と一緒に朝食を取ってらっしゃった。今頃は談話室の方に移動しているかもしれないな。ほら、今日は副総長も休暇を取っているから」
 カストルの返答に頷きかけたディケンだったが、ふとピンとくるものがあって眉を寄せた。
「もしかしたら、お前、モナ嬢とデートか?」
「ああ、その通りだ。副総長が気を遣って、モナにも休みを与えるよう急遽家政婦長にかけあってくださったんだが……」
 苦笑を浮かべるカストルも、自分をダシにして上官がモナを追い払おうとしていることが分かっているらしい。
 モナというのはミュリエルの侍女で、明るく気立てのよい女性だ。城でもミュリエルの警護にあたっていたディケンたちにとっても馴染みがあり、親しくしていた。
 ディケンは故郷に幼馴染みの恋人がいるので、モナに対して妹のような親しみの感情しかなかったが、カストルは違っていたようで、二人はつい先日から付き合い始めていた。
 ――モナ嬢もカストルもともに地方貴族だし、身分も釣り合っている。お似合いの二人だ。
 恋人とすぐ会える状況をうらやましく思うが、友人の幸せは心から祝福している。
 だが、一つだけ難点を挙げるとすれば、二人が恋人同士になったことをちゃっかり利用する上官の存在だ。
 忠実な侍女であるモナはミュリエルの傍から離れない。もちろん、主夫妻の邪魔をすることはなく、彼らが二人で一緒にいる時はおとなしく部屋の隅に控えているのだが、そんなモナにも譲れないことがある。
 ミュリエルの世話をすることだ。
 主の身の回りの世話をするのが侍女なので、彼女にとってはそれが当たり前なのだが、困ったことにミュリエルの夫でありグレーフェン騎士団の副総長でもあるレイヴィン・ブラーシュ侯爵は、傍にいる時は自分が妻の世話をやきたいという面倒なタイプだったのだ。
 二人がミュリエルの世話を巡って衝突し合うことになるのは当然の結果だった。
 この場合、身分的なこともあり、勝つのはだいたいレイヴィンだったが、モナも負けてはいない。ミュリエルが世間知らずなのを利用して、自分に都合のいいことを吹き込んでいるレイヴィンの言葉を彼女から引き出し、訂正している。
 おかげで、黙って夫の言うことに従っていたミュリエルも、最近になってレイヴィンが教える夫婦の常識を疑い、モナの方に世話をしてもらいたいと言い出すようになっていた。
 レイヴィンはそれが気に入らないらしく、自分がいる間は、モナと付き合うようになったカストルを利用して、遠ざけているのである。
「まったく、仕方のない方だな……」
 グレーフェン騎士団副総長のレイヴィン・ブラーシュと言えば、王太子アリストの右腕であり騎士の中の騎士と呼ばれる男だ。これまでの騎士の中でも最強と名高く、彼に憧れて騎士を目指す者も多い。
 ディケンもカストルもレイヴィンに憧れて騎士団に入った口だ。
 ――その副総長が妻限定の変態だとは夢にも思わなかった……。
 もちろん今でも尊敬しているし、騎士の中の騎士だという思いは変わらないが、ミュリエルに対する言動だけはいただけないというのがブラーシュ侯爵邸に派遣された騎士たちの共通の思いだった。
「せっかくの機会なのでモナを連れて外出するが、ディケン、くれぐれも殿下のことを頼んだぞ」
 真剣な眼差しでカストルが言う。ディケンは頷いた。
「分かった。お前は楽しんで来い」
「ああ」
 カストルを見送ったディケンは、ミュリエルとレイヴィンの居場所を確認しておこうと談話室へ向かう。すると、ちょうど食堂から談話室へ行く途中だった二人とばったり廊下で鉢合わせした。
「おはよう、ディケン。今日もご苦労様」
 ディケンの姿に気づいたミュリエルが微笑みながら挨拶をする。その姿は相変わらず少女のようで、とても人妻には見えなかった。
 ――相変わらず可愛らしいお方だ。
 彼女を見ていると、故郷にいる妹が思い出され、庇護欲をそそられてしまう。
「おはようございます、殿下。副総長」
 思わず口元を綻ばせながらディケンも挨拶をする。
「今日のシフトはディケンか。よろしく頼む」
 ミュリエルの隣にいる背の高い美丈夫が爽やかな笑顔を浮かべた。彼女を大事そうにエスコートしている彼こそディケンたちの上官であるグレーフェン騎士団副総長レイヴィンだ。
「はい。殿下を煩わせる者は決して近づけさせませんので、ご安心ください」
 背筋を伸ばしてディケンが神妙な口調で告げると、レイヴィンは満足そうに頷いた。
「では、ミュリエル。食後の休憩をしましょう。今日はモナが休みなので、私が心を込めて一日中ミュリエルの世話をいたしますね」
 ――と、オオカミは舌なめずりをして言いました。
 などとディケンが心の中で付け加えてしまうほど、レイヴィンの下心と劣情はあからさまだった。
「え、ええ」
 若干ミュリエルが引き気味なのはディケンの気のせいではないだろう。世間知らずのミュリエルにも、レイヴィンの言葉の背後にあるものがぼんやりと読み取れたようだ。
 ところが、レイヴィンに負けず劣らず彼に溺れているのはミュリエルも同様だ。気を取り直し、頬を染めながらミュリエルはレイヴィンを見上げた。
「ありがとう、レイヴィン。その、よろしくお願いね?」
 おそらくミュリエルは自分の言った言葉にどれほどの破壊力があるか自覚してはいないだろう。だが、言われたレイヴィンにとってそれは誘いの言葉であり、これから行うことへの許しでもあった。
 要するにこの上なく、彼を煽る言葉だったのだ。
 レイヴィンの喉がゴクリと鳴った。だが、すぐに彼は欲望を押し隠してにっこりと笑った。
「はい。もちろんですとも」
 それからレイヴィンはディケンに視線を移して命じた。
「緊急事態でもない限り、誰も談話室に近づけないでくれ」
「……分かりました」
 談話室でこれから行われることは明らかだった。
 ――あああ、俺たちの殿下が汚い大人に汚されていく……。
 遠い目をしながら頷くディケンは、談話室からの声が聞こえない位置で見張っていようと決心した。
 いそいそと談話室に消えていく二人を見送り、ディケンは廊下の曲がり角まで移動すると深いため息をつく。
 だが、嘆く反面ディケンは嬉しくもあった。
 ――殿下が明るく笑うようになった。
 ミュリエルは王族とは思えないほど謙虚で、いつも周囲に気を遣っている。それは本人の持って生まれた性格だけではなく、彼女の置かれた特殊な事情がそうさせていたのだ。
 第五王女ミュリエルは金髪碧眼揃いの王族の中でただ一人、青銀色の髪と瞳を持っている。それは「ハルフォークの青銀」と呼ばれ、何代かおきに王族に現れる色だ。この国の王族がハルフォーク帝国の血を引く確かな証である。
 ただ、希少さゆえにこの国に騒乱をもたらすことになると危惧され、彼女の身の安全を考えた国王によってミュリエルは公の場に出ることもなく、隠されるようにして育てられた。事情は何も知らされないまま。
 ディケンたちはミュリエルの護衛の任につくにあたって大まかな事情を知らされていたが、それを彼女に一切知らせてはならないときつく言い渡されていた。
 最初はどうして本人に何も教えないのか不思議だったが、ミュリエルのことを深く知っていくうちに、なぜ国王や王太子がひた隠しにしたのか理解できた。優しくて自分に自信のないミュリエルは自分が争いの原因になることを知ったら、己の存在すら厭うようになってしまうに違いない。
 ――陛下もアリスト殿下も、そして副総長も、ただでさえ、我慢に我慢を重ねているあの方からこれ以上笑顔を奪うことはできなかったのだろうな。
 溺愛されてはいるが、軟禁にも等しい生活の中で、ミュリエルは家族の中でただ一人違う色を持つ自分を恥じてだんだんと笑顔を失っていった。
 ディケンとカストルが騎士団に入ってミュリエルの護衛の任につくようになってもう何年も経つが、その当時、彼女が声をあげて楽しそうに笑った場面を見たのは片手で数えられるほどだ。
 あの時のミュリエルが「ハルフォークの青銀」であることの重さに耐えられたとは思えない。
 ――でも今は違う。
 ミュリエルは結婚してからレイヴィンの愛情に支えられ、どんどん明るくなり、笑顔を取り戻していった。心も強くなった。今では自分の置かれている立場や状況を知っても、ベールなしに人前に出られるくらいだ。
 ――悔しいけど、副総長のおかげだ。
 身辺を警護するだけでなくミュリエルの心を守ることにも気を配り、彼女を支え続けたレイヴィンの存在があったからこそ、今の笑顔があるのだ。
 それが分かっているからディケンたちはレイヴィンを大事な主の夫と認めたのだ。
 ――だけど、殿下はずっと永遠に俺たちの殿下だから。
 ディケンたちは決してミュリエルを「奥方様」とは呼ばない。
 グレーフェン騎士団が守っているのはただの一貴族ではなく「王女」なのだと内外に知らしめるため「殿下」と呼び続ける……というのは建前に過ぎない。
『どなたの奥方様になろうと、姫様は私の姫様ですから』
 モナもよく似たようなことを言っている。自分たちと気持ちは同じだろう。
 呼び方についてレイヴィンは咎めるようなことは何も言わないので、皆が好き勝手に呼んでいる。
 ――「殿下」「姫様」「奥方様」。
 どんな呼ばれ方であろうが、ミュリエルがミュリエルであることに変わりはなく、自分たち騎士はこれからも彼女を守っていくのだ。
 ――殿下。これからもずっと俺たちがお守りいたします。
 決意も新たに護衛の仕事に精を出していると、ガチャッと談話室の扉が開いて二人が出てきた。
 廊下の曲がり角から様子を覗き込んだディケンの目に映ったのは、ミュリエルを片腕で抱き上げているレイヴィンの姿だった。
 二人は一応服を身につけてはいるが、ディケンの気のせいでなければ、かなり乱れているように見える。ミュリエルの綺麗な青銀の髪の毛も、談話室に入る前は結い上げてあったはずなのに、今はしどけなくほどけて肩や背中にかかっていた。
 どう見ても中で何かありましたという風体である。
「レ、レイヴィン! 厠へは一人で行けます!」
 顔を真っ赤に染めたミュリエルがレイヴィンを見下ろして訴えている。聞きたくなくともディケンの耳にその会話が届いてしまうのだった。
「ミュリエル。我慢はいけません。足腰が立たないのでしょう? 大丈夫です。私がちゃんとモナの代わりに下のお世話もしますから」
 爽やかな口調ながらレイヴィンの言っていることはものすごく変態じみていた。
「モ、モナはそんなことまでしません! 厠の前についてきてくれるだけです!」
「モナは侍女ですからね。でも私はミュリエルの夫です。妻の健康管理は夫の役目でもありますから、私ならば一緒に厠に行ってもおかしくないのです。世の中の夫婦は皆同じことをしていますよ」
「ほ、本当に?」
「ええ、もちろん」
 ――殿下、それは嘘です!
 確かに世の中には互いの排泄場面を見たがる特殊な性癖の夫婦もいるかもしれないが、決して一般的ではない。
 ――騙されないでください、殿下!
 口を挟みたかったが、その隙もなくレイヴィンはディケンのいる方とは反対側に行ってしまう。その廊下の先にあるのは厠だ。
 二人の姿は厠の中に消えていった。
 突進してレイヴィンを止めるという手もあったが、ここで自分が姿を見せるのがマズイことは分かっている。もしも厠の中で用を足している時にディケンの姿を見てしまったら、ミュリエルは死にたくなるくらい恥ずかしい思いをするだろう。
 ディケンは力なくうなだれて、手のひらに顔を埋めた。
 ――すみません、殿下……。お力になれない俺を許してください。
 ブラーシュ侯爵邸に来てからディケンは時々……いや、かなり頻繁に思うのだった。
 ――殿下を守るのが騎士団の役目だと言うのであれば、俺たちは副総長(変態)の魔の手からこそ殿下をお守りしなければならなかったのでは……?
 
 ……だが今となっては後の祭りである。
 

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