ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

特別な夜のアイテム

 アイディーリアは、シルヴィオに謝りたいと思っていた。
 昨夜は結婚記念日という大事な夜。そのためにシルヴィオが、想像つかないほど多忙な予定を調整してまで休暇を取ってくれたというのに――夜になって彼の秘蔵だというワインを一杯飲んだところで記憶が途切れている。
 目が覚めたら朝だった。
(たった一杯で酔ってしまうなんて…!)
 やはり二人で外出し、一日中あちこち歩きまわったのが良くなかったのだろうか。二人きりで過ごせることが嬉しくて、常になくはしゃいでいたから、疲れてしまったのかもしれない。
 今朝起きた時、事態に気づいて動揺するアイディーリアに、シルヴィオは優しく「気にするな」と言ってくれた。
「この先、数え切れないほど共に夜を過ごすんだ。一度くらいどうってことはない」
 そう言ってくれたものの、背中はひどく残念そうだった。
 彼は昨日、食事にしろ、贈り物にしろ、色々と用意してくれていた。その日を特別に感じていることがひしひしと伝わってきていただけに申し訳ない…。
 悩みに悩んだ末に義妹を訪ねて相談したところ、
「そうねぇ…。わたしだったら、わざとらしいくらい機嫌を取る遊びをするわね。申し訳ない気持ちを示しつつ、深刻になりすぎないように」
 という実に家族らしい助言を受け、「なるほど」とうなずく。
 その日の夜――
 アイディーリアは、部分的に美しいレース編みを用いた薄紗の夜着を身につけ、寝室にやってきたシルヴィオを迎えた。
 以前シルヴィオに贈られたものの、自分には扇情的すぎると思い、着る機会を逸していた夜着だ。
 案の定彼は大変喜んでくれた。
「よく見せてくれ。目の覚めるような光景だ!」
「昨夜のこと、本当にごめんなさいね…」
 アイディーリアは、いつもより心持ち子供っぽいそぶりで、彼の腕に自分の腕をからめる。
 じゃれついたつもりだが、この格好では、レース越しに見え隠れする胸を強調するばかり――そう気がついた時には、彼に抱き上げられ、ベッドに運ばれていた。
 しどけない姿の妻を横たえ、それを両腕の中に捕らえるようにして、シルヴィオは見下ろしてくる。
「それを言うために、このすばらしい姿で待っていてくれたのか?」
「あなたが楽しみにしていたのに、すっかり失望させてしまったんだもの…」
「頼むから気にしないでくれ。昨夜のことは、俺にも責任があるんだから」
「どうして?」
 訊き返すと、彼はハッと息を呑んだ。
「いや…まぁ、うん…アイディーリア、愛している…」
「待って。何をごまかしているの?」
 キスをしようとする彼のくちびるに、指を置いて押しとどめる。じっと見上げていると、彼は観念したように「実は…」と話し始めた。
 昨日、部下の軍人達から「結婚一周年の記念に」と媚薬をもらったのだという。
 薬草を煎じただけの無害なものだが効果は抜群、という説明にすっかりその気になり、夜にアイディーリアのワインに少し入れて渡したところ、眠ってしまった…。
「つまりその、なんだ…媚薬というのは真っ赤な嘘で、眠り薬だったようだ…」
 部下達はシルヴィオをからかったのだろう。
 だがしかし――
 ひとりで眠ってしまったことが彼に申し訳ないと、今日一日気に病んだアイディーリアは、開いた口がふさがらない気分だった。
 おまけに黙ってそんな薬を盛るなど、いくら夫婦といっても言語道断である。
「――今夜は失礼して休ませてもらいます」
 そう言うと、ひとりでベッドの掛け布の中に潜り込み、夫に背を向けた。
「待ってくれ…!」
 今度はシルヴィオが、妻の機嫌を取りにかかる。
「すまない、俺がまちがっていた。ちょっとした悪戯心のつもりだったんだ」
 肩にキスをしながら、彼は必死の口調で言った。
「朝、打ち明けておくべきだった。すまない」
「わたしは一日気にしてました」
「頼む。何でもするから許してくれ。この通りだ。こっちを向いてくれ」
「…何でも?」
 背中で問うと、彼は「あぁ、二言はない」とすがるように応じる。
 アイディーリアは肩越しに少しだけふり向いた。
「昔みたいに話すことはできますか? 十五歳の頃のように」
「十五歳…?」
「えぇ。あの頃のあなたにもう一度会いたいです」
「――――…」
 その願いに、シルヴィオは虚を衝かれたように。声を詰まらせる。
 だがすぐに咳払いをし、口を開いた。
「もちろんだとも。お安いご用さ。僕は君を喜ばせるためなら何でもする」
「ふふ…」
 少年っぽく、やわらかい話し方。懐かしい口調に思わず笑ってしまう。
 そんな妻を目にして、彼の小芝居にも熱がこもる。
「僕の人生に君以上の幸せはない。あきらめそうになったことも何度もあったけれど、君を求める気持ちに忠実でいてよかったよ」
「……」
 出会ったばかりの頃を思い出し、アイディーリアは次第にドキドキと胸が高鳴るのを感じた。
 すると彼は、赤くなった妻の耳にキスをしてくる。
「君もそうだと嬉しいのだけれど…」
 ささやかれた言葉に胸がふるえる。アイディーリアは夫に向き直った。
「わたしも幸せです。こうしてあなたと共にいることができるだけで、何もかも満たされています」
 手をのばしてシルヴィオの首に腕を絡めると、彼は覆いかぶさるようにしてキスをしてくる。
「僕がどれだけ君を愛しているか、きっと君には想像がつかないと思うよ……」
「それはわたしも同じです」
 見つめ合い、口づけを交わす。
 想いを伝え合うキスはまたたく間に熱を帯び、ささいな行き違いを焼き尽くし、互いの情熱をかきたて、甘やかな欲求に火を灯していったのだった。

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