ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

陛下は魔女を愛したい

 ジェラルドとララローズが婚約し、少しずつ穏やかな時間が流れるようになった頃。ジェラルドは政務の合間の休憩時間に、難しい顔をして考えこんでいた。最近は眉間の皺も薄くなってきていたのに、今は以前と同じく深い皺が寄っている。
 彼は手元のカップに口を付けようとし、中身が空であることに気づいた。持ちあげたカップをふたたびソーサーに戻し、側近であるマティアスとラウルの名を呼ぶ。
「……質問がある」
「はい? どうされました」
 書類整理をしていたマティアスが振り返った。同じく資料を確認していたラウルも作業の手を止めてジェラルドを窺う。
 二人の視線を集め、ジェラルドは一瞬迷いを見せたが、腹をくくったように呟いた。
「……女を喜ばせるにはどうしたらいい」
「はい?」
「ええ?」
 マティアスとラウルの口から、聞き間違いかと訊き返すような声が漏れた。仕事のことかと思ったら違う悩み相談をされ、呆気に取られている。
 ジェラルドは言わなければよかったと後悔した。このようなことを言える相手はこの二人しかいないのだが、やはり自分で考えるべきことだったかもしれない。
「いい、忘れろ」
 そのまま立ち上がり休憩時間を早めに繰り上げようとすると、慌てた二人がジェラルドをふたたび椅子に座らせた。
「いやいや、忘れるなんてできないですって。気になってこの後まともに働けないです」
「そうですよ、陛下。なにかお困りごとがあるなら遠慮なく頼ってください。十中八九ララローズ様のことですよね。なにがあったんですか?」
 彼らの目が心なしか光って見える。いつになく楽しんでいるように感じられて、ジェラルドは思わず仰け反った。どうしてこいつらは嬉しそうなんだ。
 だが、勇気を出して、ここ数日考えていたことを口にする。人を頼ることがほとんどない彼にとって、私的なことを相談するのはこれが初めてだった。
「……お前たちは、どうやって好きな女を喜ばせるんだ?」
「そうですね……私は独身ですし、婚約者もいませんからね……。マティアスはどうなんですか?」
 ラウルが既婚者であるマティアスに問いかけた。
「ええと……婚約前はとにかく好きになってもらいたくて、相手が好きなものを徹底的に調べて、お花贈ったり観劇に行ったりお菓子を持って行ったり、いろいろしましたよ。でも女性は物よりも言葉が欲しいという方が多いみたいですね。ちゃんと自分の気持ちを伝えてくれることが一番嬉しいと言ってました。それに過剰な贈り物はかえって相手に気を遣わせてしまいますし、罪悪感なく貰えるようなお花や消え物が、好感度が高いかと」
 マティアスがにこにこと自分の経験談を語る。
 それを聞いて、ジェラルドは腕を組みながら考えこんだ。
「気持ちを言葉にするとは具体的にどういうことなんだ。好きだ、愛しているとかを囁けばいいのか」
「いや、そんな言っとけばいいだろうというスタンスは駄目ですけど……乱発もちょっと……」
 マティアスがラウルに意見を求める。
 ラウルは柔和な微笑を浮かべたまま、「そもそも陛下は何故突然そのようなことを? ララローズ様との仲は良好かと思っていましたが」ともっともな問いかけをした。
「それは陛下がララローズ様への愛を自覚して大切にしたいと思ったからでしょう。今までの陛下は女性との接触を避けていましたし、ララローズ様への扱いもひどかったですから。愛に目覚めたが故の行動ですよね」
 邪気のない笑顔を向けて、マティアスがジェラルドの思考を解析する。ジェラルドは居たたまれない気持ちになった。
 ――クソ、否定できん。
 今まで女性と親密な仲になったことがない。喜ばせようと思ったことも、好かれたいと思ったこともなかった。そのため好きな女性ができた今、どうしたらもっと親密になれるのかと、今さらながらに考えている。
「遅い思春期ですよね……早くに即位されているから、頭だけ大人になっちゃって。こういったことも初めてになりますよね」
「私はいい変化だと思いますよ。釣った魚にエサをやらないような男は滅べばいいと思いますし」
 マティアス、ラウルがジェラルドを援護する。ラウルの台詞が辛らつだ。
「宝石類はあまり喜んでいないようだったが、高価すぎて迷惑だったのか。花くらいがちょうどいいと言っていたな。庭で勝手に摘むと庭師が卒倒しそうだが」
「ララローズ様は倹約家ですからね……庭師には私から伝えておきますよ。陛下が婚約者に毎朝花を摘むことを気にしないでくれと」
「毎朝? 花は毎日貰っても飽きないのか」
「では三日に一度とかにします? でも、それより陛下がララローズ様に素直な気持ちをちゃんと伝えて、愛を告げることが大事だと思いますよ」
 ラウルの提案に、マティアスが頷いている。
 気持ちが通じた後、ジェラルドはララローズに愛しているとはっきり告げたが、それからは気恥ずかしさが勝ってはっきり伝えられていなかった。寝台の中では一、二度口にしたかもしれないが。
 ――女は寝台の中での言葉を本気にしないと聞いたことがある……まさか俺の言葉も本気に取られていない可能性もあるのか?
 もしかしたらララローズは不安に思っているのかもしれない。婚約後、ララローズは毎日妃教育を受けていて忙しく過ごしている。もしジェラルドの愛を疑い、嫌気が差したら、王城から消えてしまうかもしれない……。ついでに王家の正当な血筋も絶えてしまうだろう。
「……花を摘んでララローズにちゃんと愛を伝える。婚約破棄などさせないぞ」
「そうですね、頑張ってください。ララローズ様は王妃の座に興味がないようですし、陛下への愛が消えてしまったら城を去ってしまうかもしれない。それは絶対阻止してくださいね」
 ラウルの辛らつな言葉はまさしくその通りだった。ジェラルドへの愛が消えたら、ララローズは彼を捨てるだろう。今度はイングリッドではなく自分が婚約者に捨てられるかもしれないと気づき、ジェラルドは拳をギュッと握る。
「今日は早く上がる。残りは明日に回すぞ」
「御意」
 いつになくやる気を出したジェラルドは、驚異的な集中力を発揮させ、予定よりも早く仕事を終わらせた。愛しの婚約者の顔を思い浮かべながら。

 ◆ ◆ ◆

 ――ジェラルド様の様子がおかしい。
 二人で夕食を食べながら、ララローズはちらりとジェラルドの様子を窺った。いつもより無口で、なにやら悩み事があるようだ。今もワイングラスを手にしたまま視線がどこかに向いている。
「ジェラルド様、体調悪い? もう寝室に行く?」
 ララローズの声を聞いて、ジェラルドがハッとする。持っていたワイングラスをグイッと呷り、「なんでもない、大丈夫だ」と告げた。だが、どことなくそわそわしているように感じる。
 ――具合は悪くないみたいだけど、どうしたんだろう。なにか困りごとでもあるのかな。
 疲れているのかもしれない。なにかリラックス効果のあるアロマを焚いた方がいいだろうか。
 食事を終え、二人の部屋に戻る。婚約後もララローズはずっとジェラルドの部屋に滞在していた。王妃の部屋は別室にあるが、衣装部屋しか使用していない。
 ようやく二人きりになると、ララローズも肩の力が抜けた。護衛を含め、他人の目がどこにいてもついて回るのは、なかなか気が休まらない。
 寝室に向かい、侍女の時と同じようにジェラルドの世話を焼く。彼が着ているジャケットを脱がせて衣装部屋に吊るした。そのまま振り返ると、ジェラルドがララローズの真後ろに立っていてドキッとした。
「びっくりした、後ろに立っているなら声かけて?」
「ああ、すまない」
 素直に謝罪される。やはりあまり元気がないようだと心配していると、ララローズの身体が浮き上がった。
「えっ! なに、急に」
 横抱きにされ、ジェラルドに運ばれる。
「風呂に入るぞ」
 その言葉の通り、ジェラルドが向かった先は浴室だった。婚約後も二人で一緒に湯浴みをするのは変わらない。まだ準備が整っていないはずだと思ったが、浴槽にはたっぷりと湯が張られていた。
「いつの間に……」
 脱衣場に下ろされる。ララローズが唖然としている間に、ジェラルドが手際よくドレスを脱がしにかかっていた。
「あ、待って。自分で……」
「いい、俺に任せろ。今日は全部俺がお前の面倒をみる」
「ええ?」
 侍女のお仕着せを着ることはなくなったが、ララローズが好んで着ているのは機能性の高いシンプルなドレスだ。自分で脱ぎ着ができて動きやすい。
 これまで湯浴みの時は自分で脱いでいたため、ジェラルドの行動が意外だった。
「髪はまとめた方がいいな」
 ジェラルドがパパッとララローズの長い髪をまとめた。手際もよく、髪を引っ張られることもなく弄られて、つい目を白黒させてしまう。
「ありがとう……器用なのね」
 下着姿にさせられ、残りの薄い布まで取られそうになった。もう何度も一緒に湯浴みをしているが、明るい浴室で下着を脱がされるのには慣れない。
「これは、自分で脱げるから」
「遠慮するな。今日は全部俺に任せておけばいい」
「……ッ!」
 するりと腰の紐が解けられる。ジェラルドと生活を始めてから、下着が紐で縛るものばかりなのは一体なぜなのか……考えなくてもわかってしまうのが恥ずかしい。脱がしやすい以外の理由がない。
 上も下も脱がされて、隠すものがなくなってしまった。ジェラルドは満足そうに頷くと、自身の衣服もすべて脱いでララローズの腰を抱き寄せる。
「熱くないか」
 湯の温度を確かめさせ、問題ないと頷けばララローズの身体はジェラルドに抱えられた。
「えっ」
 そのまま浴槽に入り、彼の膝の上に座らされる。少し動こうとすると、すぐに腰に巻き付いた腕が阻止した。
「逃げるな」
 ジェラルドの声が浴室内に響く。じわじわとララローズの顔が熱くなってきた。
「あの、どうしたの? なにか私に言いたいこととかあるの?」
 背後にいるジェラルドの表情を窺う。
 彼はララローズを見つめ、ふっとその顔に微笑みを浮かべた。眼差しに甘さが混ざり、ララローズの心臓がドキッとする。未だにジェラルドの甘い微笑には慣れそうになかった。
「ララローズ、俺になにか不満があればいつでも言ってほしい。ひとりで考えこんで、愛想を尽かして城から出て行くことだけはしないでくれ」
「ええ? 急になに? 愛想を尽かしてなんていないけど……」
「そうか、それはよかった。だが、これからの話だ。俺はお前が好きだし、一生手放したくない。お前が喜ぶことをなんでもしたいと思っているが、一体なにをしたら喜んでもらえるのかがわからない。お前は俺になにを望む? どうしたらお前はもっと喜ぶんだ」
 ジェラルドの問いに驚いてしまった。ララローズはポカンと口を半開きにする。
 ――え? まさかそんなことをずっと考えてて、様子がおかしかったの? 私を喜ばせるにはどうしたらいいのかって? 
 愛想を尽かして消えないでほしいと言われる日が来るなど思ってもいなかった。一度ララローズを城から追い出した人と同一人物とは思えない。
 だが、そんなふうに思われているのが嬉しい。ララローズの胸に奇妙な満足感が広がっていく。
 ――ジェラルド様が可愛い……。
 ララローズは身体を反転させ、ジェラルドと向き合った。彼の首に己の腕を巻き付けて、真正面から見つめ合う。
「私を喜ばせたいと思っていたの? どうやったらもっと好きになってもらえるかって?」
「……やめろ、そんな目で見るな。恥ずかしくなる」
 ジェラルドの顔が赤い。視線を逸らし、耳まで赤くなっている姿が実に愉快だ。好かれているのだと実感するだけで、ララローズの心が満たされていく。
 彼の首をグイッと引き寄せ、その唇に触れるだけのキスをした。ついでにジェラルドの高い鼻にも、チュッとキスをする。
「毎日私を抱きしめて、一日一回『愛している』って言ってほしいわ。義務じゃなくて、心からの気持ちでね。お互いなにか不満があったらちゃんと話し合って、解決策を見つけましょう。それで十分、私は満足だわ」
「欲がなさすぎないか? 俺は一応この国で一番偉いんだが」
「そう? でも物欲とかはあまりないのよね。好きな人に愛していると言ってもらえるのが一番嬉しいけど……あ、そうだわ。いつかお休みが取れたら、二人で温泉に出かけられない?」
「温泉? ……お前と最初に出会った場所か」
「そう。もう一度二人であの温泉に入りましょう。綺麗な夜空を眺めながら。おいしい料理も食べて、一緒に街を散策して」
「お前が手伝った店の檸檬水も飲んで?」
「檸檬水は夏だけの限定かもしれないけど、でも店主に挨拶するのもいいかもね」
 あの時店を手伝った城の侍女が、まさか国王の婚約者になっているとは夢にも思わないだろう。
 ジェラルドは思案し、その提案を呑んだ。
「いい案だな。二人でのんびり温泉宿に泊まるか。休みは任せろ、もぎ取ってくる」
「頼もしいけど、無理はしないでね。疲れ切って楽しめなかったら無意味だし。私もジェラルド様と一緒にお出かけできるのを楽しみにして、お妃の勉強頑張るわ」
「無理はするなよ。嫌なことがあったらいつでも頼れ」
 
 それから一ヶ月後、ジェラルドは二日の休みを得てララローズと共に温泉地に来ていた。二人きりというわけにはいかなかったが、二人の邪魔にはならないよう遠くから護衛を付けて、初めて出会った場所をゆっくり回る。ララローズが店番をした檸檬水は、夏以外にも温かくしたものを売り始めたようだった。
 夜中になると、前回と同じ宿の混浴温泉に入り、二人だけの湯を堪能する。
「そういえば私、あの後髪飾り、失くしちゃったのよね。多分、ここで溺れたときに。もう誰かに拾われちゃったかな」
「それなら俺が持っている」
「ええ? 嘘、聞いてないけど」
「言っていないからな。あの時から俺ももう一度、お前に会いたいと思っていたんだろう。返してほしければ返すが」
 ララローズは少し考えて、首を左右に振った。
「ううん、ジェラルド様にあげる。私がまたなくさないよう、代わりに持っていて」
「そうか、なら大切に保管しよう」
 ジェラルドの顔が落ちてくる。ララローズは目を閉じて、彼のキスを受け入れた。
 目を開けると、ジェラルドの頭上にはあの日と同じ、真ん丸なお月様が二人を見守っていた。
「……またお休みが取れたら、二人で来ましょう」
「ああ、また来よう」
 少し不器用で、でも直球な愛をくれるジェラルドが愛おしい。
 ララローズは二人の思い出の地に再び訪れる日を待ち遠しく思った。

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